フェルディナント・キットル『平行車線』(Die Parallelstraße, 1962)
「カフカ的部屋の中で、イヨネスコ的登場人物たちが、サルトル的シチュエーションに身をおいて、カミュ的問題に取り組む映画」(ヘルムート・ハーバー)
冒頭、画面いっぱいに「188」という数字が現れたかと思うと、いきなりスクリーンが真っ暗になり、様々な言語がノイズのようにミックスされた声が暗闇のなかから聞こえてくる(その中には、「いらっしゃいませ。5階でございます」という日本語の声も混じっている)。やがてスクリーンが明るくなると、モノクロの薄暗い画面のなかに小さな会議室のような場所が現れる。5人の男たちがなにかについて議論しあっているようなのだが、ちょうどセッションが終わったところらしく、6人目の議長らしき男が一旦休息を宣言する。すると今度は、空港を捉えたカラー映像を背景にクレジットが読み上げられてゆくのだが、それが終わったところで唐突に、「エンド・オブ・パート2」という字幕が現れるのだ。なんとも人を食った始まり方である。
『平行車線』はしばしばニュー・ジャーマン・シネマのパイオニア的作品であるといわれる。しかし、この映画のことを知っている人はそう多くはないだろう。日本で出ているニュー・ジャーマン・シネマの研究書にさえ、この映画のことはまったくふれられていない。
この作品が撮られた1962年は、あの有名なオーバーハウゼン宣言が行われた年である。監督のフェルディナント・キットルは宣言に署名したひとりであり、その中心メンバーだった。「古い映画は死んだ。われわれは新しい映画を信じる」というこの宣言の結語の部分はあまりにも有名だが、この宣言に関わった26名のうちで現在も映画に関わり続けているものはそう多くない。かれらが撮った映画の大部分も忘れ去られてしまった。この『平行車線』もそんなふうに忘れられてしまった映画の一本だ。
当時、フランスの批評家ロベール・ベナユーンは『平行車線』を、「この一年間のもろもろの下らない映画の埋め合わせをしてくれる哲学的スリラー、瞑想の西部劇」と評し、ジャック・リヴェットはこの映画を1968年のベストテンに選んでいる(ちなみに、この年かれが他に選んだ作品は、ロバート・クレイマー『ジ・エッジ』、ガレル『アネモネ』、ストローブ=ユイレ『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』、グラウベル・ローシャ『狂乱の大地』、モンテ・ヘルマン『銃撃』、リュック・ムレ『密輸業者』など錚々たるラインナップ)。しかしやがて、この作品もほとんど上映される機会を失ってゆき、不当に(といってもいいだろう)人々の記憶から消えていった。
『平行車線』がようやく多くの人々の目に触れることになったのは、数年前に Edition Filmmuseumからこの作品が DVD 化されたからである。わたしがこの映画を見ることができたのもそのおかげだ。
映画に戻ろう。クレジットが終わると、スクリーンはふたたびモノクロになり、場面は先ほどの会議室に戻る。議長の台詞から、どうやら5人の男たちはある人物についてのドキュメントを議論しあっているらしいことが窺えるのだが、その問題の人物がだれなのかはさっぱりわからない。
議長は、観客にだけ聞こえる声で、5人の男たちの無能さを嘆いてみせる。かれらは、ドキュメントが彼ら自身の生活を映す鏡であることを理解できてない。これまでにも3日ごとに5人の男たちが交代でやってきたが、彼らと同じく、今度の5人も決してやり遂げることができないだろう。その先には死が待っている。あと90分でかれらの命も終わる。──そんなふうに議長はわれわれに向かって語るのだが、その説明を聞いても、かれらの置かれているシチュエーションはいっこうに明らかにならない。それどころか、謎はよけいに深まるばかりだ。
やがて、「平行車線パート3」という字幕が現れ、5人の男たちは、189,190というふうに番号が振られたドキュメントに順々に目を通してゆくのだが、そのドキュメントというのは、実のところ、カラーで撮られたドキュメンタリー映像にすぎない。そこに映っているのは、世界中から集められてきた様々な光景である(これらはすべて、キットルが、1959年から1960年にかけて、キャメラマンのロナルト・マルティーニと共に世界を旅して撮りためた映像だ)。それは一種の工業記録映画であったり、エスニック・ドキュメンタリーであったり、遺跡をめぐる旅の記録のようなものであったりするのだが、その見事なドキュメント映像に重ねられるナレーションは、ときに映像と奇妙なズレを見せはじめる。幻惑的で、突飛で、シュールでさえある散文詩のようなナレーションによって、屠殺場は誕生の場所に、悪魔島は宗教的な聖地に変貌する、といったぐあいだ。見ているものはやがてしだいにどこともわからない場所へと誘われてゆく(ドキュメンタリーをナレーションによって別のものに変容させるという手法は、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスの『追憶のマカオ』を多少思い出させもする)。
これらの短いカラー・ドキュメント映像が終わると、そのつど場面は先ほどのモノクロの会議室に戻り、5人の男たちは今見たばかりの映像について議論し合うのだが、その議論の内容がまたナンセンスで、まるで意味をなさない。
かれらの仕事は、これらのドキュメントを理解し、それらを貫いているテーマを見付け、これらの映像を撮った人物を理解することだ。しかしそれは議長が言うように、最初から失敗を運命づけられているように見える。かれらは、これらのドキュメントから抜き出したテーマをカテゴリー別に分類し、チャートに当てはめようとするのだが、それは支離滅裂な結果を生むだけだ。
もっとも、眼にしたものを前にして、そこになんの一貫性も統一的な意味も見いだせず途方に暮れるのは、われわれ観客とて同じである。正直、わたしにはこの映画がなんなのかさっぱりわからない。あの会議室の5人と同じく、眼にした映像を前にしてただ戸惑うばかりだ。この映画にはいったいどういう意味があるのだろうか。310番まで番号が振られたドキュメント映像(そのうちわれわれが実際に見ることができるのはたった16本だけである)は、戦後急速に工業化するドイツ社会に、それを異化するような視線を投げかけているようにも思える。あるいは、この映画は、映画を見ることの意味自体を問うているという解釈もできるだろう。しかし、ひょっとするとここにはなんの意味もないのかもしれない……。たしかなのは、この映画を見ることが、何よりも一つの強烈な体験であるということだ。ドキュメンタリー部分がもたらすクリス・マルケルの『サン・ソレイユ』にも似た幻惑。モノクロパートの会議室の不毛なやりとりが現出させる不条理。なんともとらえどころのない映画だが、それゆえにというべきか、なにか妙なものを見てしまったといういわく言い難い印象を残す。映画が、意味より何より、一つの体験であるとするなら、この映画がもたらす体験はなかなかに強烈なものである。こういう映画こそ、映画館で見たいものだが、現状、それはなかなか難しいだろう。DVD で見られるようになっただけでも感謝しなければならない。