明るい部屋:映画についての覚書

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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『Canoa: A Shameful Memory』――メキシコ版 実録『2000人の狂人』?


フェリペ・カザルス『Canoa: A Shameful Memory』(76) ★★★


こんな映画が存在することさえ、つい最近まで知らなかった。それなりに映画を見てきたつもりだが、この世にはわたしが見たことも聞いたこともない映画がまだまだ残っているらしい。当たり前といえば当たり前の話である。しかし、この映画にはそんなことを久しぶりに痛感させられた。実にユニークな作品である。


「メキシコ版 実録『2000人の狂人』」とでもいえば、この映画の内容を簡潔に言い表したことになるだろうか。この映画に描かれるのは、1968年のメキシコで起きたある事件である。

メキシコ中南部の都市にあるプエブラ大学の職員5名が登山目的で地方に旅行する。しかし、目的の山の麓にある村サン・ミゲル・カノア(映画のタイトルになっている)に到着した時、折悪しく土砂降りの雨になる。仕方なく一夜の宿を探そうとするが、教会の神父を始めとして、村人たちはなぜか彼らに敵意を剥き出しにしてくる。それが、田舎の村でよく目にする「よそ者」に対するたんなる警戒心などではなく、殺意そのものであることにやがて彼らは気づくが、そのときはもう手遅れだった。

彼らは酒場で知り合った村人の家(というよりも小屋に近いあばら家)に泊めてもらうことになるのだが、気がつくとそこに何十人もの村人が詰め寄せ、家の周りを取り囲んでいた。やがてかれらは扉を押し破ってなかになだれ込み、家の主人を殴り殺すと、5人の職員に襲いかかり、一人ひとり殺してゆく。滅多打ちにした挙句、泥道を引きずってゆき、死にかけの状態で倒れているところをさらにナタ(マチェテ)で何度も何度も斬りつける。残酷極まりない。直接犯行に加わっていないものたちも、憎悪の叫び声を上げて囃し立て、街全体がお祭り騒ぎの様相を呈してゆく。知らせを受けてようやく機動隊が駆けつけたときには、二人だけがなんとか生き残っていたが、どちらも瀕死の重傷を負っていて、一人は片方の手の指をほとんど切り落とされていた……。


まるでハーシェル・ゴードン・ルイスの『2000人の狂人』のようなホラーな展開だが、実はこれは、この映画が撮られる数年前にメキシコで実際に起きた事件なのである。

こんなことが本当に起きたのかと信じられない気持ちになるが、これは、幾つもの要因が重なって、起こるべくして起こった事件だった。当時この村は、一人の怪しげな神父によって支配されていた。彼はよその教区から追放されていわばこの村に逃げ込んできていたいわくつきの人物だった。ほとんどが読み書きもできない無知な村人たちを、神父はその右翼的といってよい思想でたちまち洗脳してしまったのである。村人たちは、反政府的な運動をする学生たちは憎むべき共産主義者であり、カトリックの教会を破壊し、村人たちの土地を奪おうとしていると教え込まれた。そして、共産主義者の学生たちがやがて村に現れるから、警戒を怠るなと言われていたのである。

プエブラ大学の職員たちが村に現れたのは、そんな最悪なタイミングだった。彼らは共産主義の学生たちと間違われ、命を狙われてしまったのである。この日、雨が降っていなければ、彼らは悲惨な事件に巻き込まれることもなく、登山を楽しむことができていただろう。そんな不幸な偶然も重なって起きた出来事だった。

しかし、この事件をほんとうに理解するには、当時のメキシコの社会情勢を知っておく必要があるだろう。当時メキシコは、長期にわたる高度経済成長を達成する一方で、貧富の差が拡大するなど、様々な社会問題を抱えていた。この映画に描かれる1968年は、メキシコ・オリンピックが行われた年であり、オリンピックの直前になって学生たちによる反政府運動は激しさを増していた。そんなときにこのカノアの村の事件は起きたのだった。メキシコシティで、軍隊が学生のデモ隊に向かって発砲し、一説によると300人近くの学生が死亡したと言われる有名な虐殺事件が起きるは、このカノア村の出来事が起きたわずか数ヶ月後のことだった。このメキシコシティーでの虐殺事件はこの映画で直接的には描かれていない。だが、監督のフェリペ・カザルスはこの虐殺事件も射程に入れているに違いない。いや、むしろ、それこそが本当のターゲットであったとも考えられる。


この出来事を描くにあたってカザルスは、直線的な語りではなく、ブレヒト的ともいえるような距離をおいた複雑な語りを用いている。映画は、二人の新聞記者が、その夜起きたばかりのこの事件のことを電話で語るシーンで始まる。ついで、殺戮の現場に転がっている死体、その周りに群がる村人たち、それを制止する機動隊員を捉えたニュース映像風のモノクロ画面をバックにタイトル・クレジットが流れる。それが終わると、殺されたプエブラ大学の職員たちが登るはずだったラ・マリンチェ山を捉えた美しいカラー画面が現れ、サン・ミゲル・カノア村の風景が次々と映し出されてゆくにつれて、画面外の語り手が、この村の経済的に貧しい現状や、識字率の低さなどを、まるで教育ドキュメンタリーのように説明してゆく。やがて野良仕事をする一人の男をカメラがアップで捉えると、男はカメラに向かって語り始める。むろん、この男も役者である(実は、彼は映画監督のフアン・ロペス・モクテスマであり、彼はこのあとも狂言回しとして何度も画面に登場することになるだろう)。

こんな風にして始まった映画は、一体この映画は何がしたいのかと観客がいささか不安になり始める頃になって、ようやくプエブラ大学の職員たちの物語を再現ドラマとして語り出すのだが、そこにもモクテスマ演じる男は何度も現れ、物語から超越した存在として、出来事にコメントを加え続ける。モクテスマの語りはときにアイロニーたっぷりであり、こうして映画は終始一貫して出来事とは一定の距離をおきながら語り進められてゆく。

事件そのものも悲惨だが、事件の結末がまたやりきれない。この犯行には、神父をはじめ村人全員が加担していたと言ってもいいのだが、それを立証することは難しく、直接手を下した何人かだけが結局裁判で有罪になる。いずれもわずか数ヶ月の刑期であり、しかもほとんどは刑期よりもずっと短い期間で出所した。このなんとも中途半端な結末は、この直後に起きるメキシコシティーでの虐殺事件を予告している。カザルスがこの事件をただの再現ドラマとしてではなく、一歩距離をおいたところから構成し直して描いたのは、これを非常に特殊なケースとして片付けるのではなく、起こるべくして起きた出来事として描くためだったのだろう。まるで中世の世界で起きたような現実離れした事件だが、条件さえ整えば、現在においてもこういう事件はきっと起こりうるに違いない。そう考えると恐ろしくなる。


どうでもいいことだが、プエブラ大学の職員たちがバスのなかで歌う唄は、フォードの『駅馬車』でインディアンの女(アパッチ・ウェルズの宿のメキシコ人の主人と結婚している、と言うかさせられている女)が歌うあの望郷の唄である。