1939年、ブニュエルは、妻と息子を連れて、内乱のスペインからハリウッドに向かう。スペイン内乱を描く映画の監修を依頼されたからだった。しかし、いざ仕事に取り掛かろうとした矢先に、ワシントンから指令が届く。全米製作者協会も、アメリカ政府も、共和国支持だろうとファシスト支持だろうと、スペイン内乱を描く映画は、無条件に認めないというのだった。こうして何もできないでいる間に、数カ月も立たないうちに内戦はフランコ側の勝利に終わってしまう。
『アンダルシアの犬』や『黄金時代』などのスキャンダラスな作品のせいで、ブニュエルはハリウッドですこぶる評判が悪く、彼に仕事をくれるものはいなかった。そんなとき、知人の紹介で、ニューヨークの近代美術館のドキュメンタリー部門に仕事の口が見つかる。彼が任されたのは、ナチの映画を編集し直して、アメリカ政府にプロパガンダの、とりわけ映画によるプロパガンダの持つ驚異的な力への関心を呼び覚ますことだった*1。ヨーロッパではすでに第2次大戦が始まっていた。
まず小手調べにブニュエルに依頼された仕事は、ドイツ大使館を通して密かに取り寄せられていた2本のドイツ・プロパガンダ映画、リーフェンシュタールの『意志の勝利』とハンス・ベルトラムの『火の洗礼』を再編集することだった。かれは2時間近くあるリーフェンシュタール作品を約40分の短編に編集し直す。その出来にブニュエルはとても満足していたという。この再編集版は、『火の洗礼』の再編集版ともども、各地の領事館など様々な場所で上映された。あるとき、ルネ・クレールとチャップリンが会場に姿を表した。クレールは映画のプロパガンダとしての出来に恐れをなしたが、チャップリンは椅子から転げ落ちるほど大笑いしたという(ただし、チャップリンはこれでは物足りないとも言い、ポルノ的な場面をさらに付け加えることを提案したという証言もあるが、定かではない)*2。
以上のことは、ブニュエルの自伝『映画、わが自由の幻想』や彼のインタビューなどで繰り返し語られている。しかし、実を言うと、本を読んでいるにもかかわらず、私はこのエピソードのことをすっかり忘れていた。それで、最近、20年近く前の「カイエ・デュ・シネマ」のバックナンバーを読んでいて、シャルル・テッソンがこのエピソードを取り上げた記事を見つけて、びっくりしたのだった。
この記事によると、ブニュエルによる『意志の勝利』の再編集版は、2000年にフランス、トゥルーズで上映されたらしいから、少なくとも、この時点ではフィルムは存在していたはずである。しかし、ネットで探してみてもその動画は見つからないし、今そのフィルムがどこにあるのかもわからない。というわけで、私はこの映画をまだ見ていないし、どうやったら見ることができるのかも、今のところわからないでいる*3。
この映画について具体的に書かれたテキストすらあまり見当たらないのだが*4、先程の「カイエ」の記事などを読むと、ブニュエル版『意志の勝利』がどのようなものだったのかがある程度見えてくる。ブニュエルはリーフェンシュタールの『意志の勝利』のショットを並べ替えたりすることも、コメントや音楽を付け足すこともしていない。ただ不要な部分を削っていっただけだという。しかもその削り方は、細かくショットごとにカットするのではなく、ひとつの大きなまとまりごとにばっさり削るというやり方だったようだ(オリジナル版に付されていた音楽を損なわないようにという配慮もあったらしい)*5。大事なのはナチスの党大会を記録した部分であり、例えば兵士が野営地で目を覚めす場面などは次々とカットされていった。リーフェンシュタールの美学が際立っている部分(これみよがしな移動撮影など)も削られていった。こうして残ったものは、リーフェンシュタールよりもリーフェンシュタール的な映画だった。ブニュエルはいわば、リーフェンシュタールの『意志の勝利』を純化させてゆき、さらに強力で、さらに危険なプロパガンダ映画として完成させたのだった。
奇妙といえば奇妙な試みである。しかし、これはブニュエルにこの映画を撮らせた美術館側の意図したことでもあった。ブニュエルにも、チャップリンの『独裁者』のように、ヒットラーを誇張したり、戯画化したりする意図は一切なかったようだ。それだけに、かれが再編集した『意志の勝利』はなおさら居心地の悪いものだったようだ。チャプリンがなぜ大笑いしたのかは、ブニュエルも書いているように、謎である(ちなみに、彼はこの直前に『独裁者』を撮り終えていた)。
たぶん、「カイエ」の記事を書いたシャルル・テッソンの言う通り、ブニュエルがリーフェンシュタールの『意志の勝利』を短く再編集したヴァージョンは、チャップリンの『独裁者』の否定であり、それをある意味で補完するような作品だったのだろう。『独裁者』は観客にこの独裁者を思いっきり笑い飛ばしなさいといい、そうやって観客を安心させる。だが、ブニュエル版『意志の勝利』は、『アンダルシアの犬』でまぶたをカミソリで切り裂かれるイメージのように、観客にこのおぞましい姿を直視せよと迫るものだったのである。
-
- -
ネットで見つけた、この映画について具体的にふれている唯一のページはこれ。この記事も、「カイエ」のテッソンの記事をかなり参照しているようであるが、まるでシナリオを読んだかのような詳細な場面分析がとても参考になる。ただし、スペイン語で書かれている。
(ニューヨーク近代美術館の同僚たちと写っているブニュエル)
*1:この頃、ブニュエルはジークフリート・クラカウアーと親交があり、彼のファシズムと映画についての理論を、このプロパガンダ映画の再編集で実践しようと思っていたという証言もある。余談だが、ブニュエルは MOMA で働いていたこの時期に、美術館を訪れたジョゼフ・ロージーと出会っている。
*2:チャップリンの反ナチスの姿勢を知らぬものはないだろうが、一方で、彼はスペイン内戦についてはなんとも煮え切らない態度を見せていたように思える。
*3:ちなみに、この映画は IMDb のブニュエルのフィルモグラフィーの監督の項目にも編集者の項目にも見当たらない。
*4:四方田犬彦のブニュエル本はまだちゃんと読んでいないのだが、ひょっとしたらそこには取り上げられているのかもしれない。
*5:ブニュエル版『意志の勝利』は、リーフェンシュタールの『意志の勝利』とベルトラムの『火の洗礼』の2本を編集して一本の映画にしたものであると伝える資料もあるが、どうやらこれは間違いのようだ。彼はそれぞれの短縮版を作っただけだった。