明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。































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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

試訳(1)

別に出す予定もないのに、映画の本を一冊訳しはじめてしまった。公にしたほうが緊張感を持って訳せるので、ブログに載せることにしたが、気まぐれでやっているだけなので、飽きたらすぐにやめるし、すぐに飽きると思う。しかし、ひょっとしたら本当に本にする可能性がないわけでもないので、タイトルはあえて伏せておく。

ミスター・メモリー


 エスタブリッシング・ショット:暗闇に沈む街、現代。

 カメラが通りを進んでゆく。霧が輝いているような特殊効果。小道具にゼリーを塗りつけて輝かせるか何かしてるのである。いろんなやり方を知っていて、人間の知覚を研究しているのだ。スタジオのラボの技術者たちは、何が、どのぐらい、観客の視線を引きつけたりそらしたりするのか心得ている。瞬きの科学を極めているのだ。
 周到に配置された都会のがらくたの山をぬって、視覚効果班がレンズを動かす。照明を傾けて、溝で汚臭を放っている緑がかった水たまりをスタイリッシュに輝かせる。カメラがかきわけて進むと、観客はまるで弾丸列車の屋根の上に乗っているみたいな、あるいはローラーコースターに縛り付けられてでもいるみたいな気分になる。ちょっとしたドライブがかたち作られてゆく。送風機が新聞と段ボールの山を霧の中に吹き上げる。カメラが水たまりの上を滑ってゆき、フレームの端っこで人工的な水しぶきをとらえるまさにその瞬間、動物トレーナーによって訓練されたネズミが路地裏から飛び出す。
 するとカメラは速度を落とし、何が起きているのかを観客が把握するための時間を与える。美術監督がアベニューCの麻薬中毒者そっくりにメイクしたエキストラを配置しておく。美術監督は、落書きやドアノブの壊れ具合も実地調査している。貧しい雰囲気はどこをとっても本物だ。俳優たちは、映画に出演したいがために、自ら進んで絶食し、スポンジケーキとメタドンだけで生活していたのだろうか。カメラは、止まったり動いたりしながら、もたもたと進み、数秒のあいだ一人ひとりの顔をスクリーンにとどめ、観客がイメージを読み取って、その前後の顔と区別できるようにする。こいつは金歯をしている……こいつは歯がない……こいつは末期的な黄疸の症状が出てる……こいつは人食い人種のような笑い方をする……こいつには浮浪児の悲哀がむしばまれた形で残っている……こいつの筋肉の動きは完璧だ……こいつは(これがオチだというしるしに、カメラはこの男だけ他よりも長くとらえ続ける)、迫害者たちに復讐してやると脅す魔術師みたいに、カメラに向かって弾劾するように指をさす。
 しかしカメラはジャンキーたちからやすやすと逃れる。そして好き勝手な場所に進み、都市のイメージをまき散らしていくが、そのどのイメージにも安住しない。狭い路地を次から次へとかきわけて進み、観客が不在である場所を通り抜けてゆく。ドルビーサウンドの低音の和音が、観客の誰一人としてそんな場所にいたくないと思わせる音響を作り出す。
 カメラはかたわらの汚物すれすれに進み、骨の山をあさる。野良猫がうなり声を上げながらいきなり飛びかかってきてレンズをかすめていく。カメラは壁を這い上がる。ドルビーの低音に、フルートに似た耳障りな──ぜんそくのあえぎを押さえるような──シンセサイザー音がかぶさる。カメラは壁にそって這い上がりながら、アクションのスピードを落として引き延ばし、いらいらさせるほどしつこいフルートに似た耳障りな音を、我慢ならないものにする。
 カメラは探し求めていたものをもう見つけている。とある住居のブラインドだ。それが窓であるとわかるぐらいのあいだ窓の外でとどまっていたカメラは、防犯ゲートをやすやすとすり抜け、ガラス窓を通り抜け、さらに進んでゆく……。
 ……広々とした取り散らかった空間。木製の羽目板張りのハイテク不毛地帯に、カセットや金属製の缶やテレビモニターが散在している。すべて最新式だが、どうしたわけか『ブレードランナー』や『マッドマックス2』に出てくる加工品のように、埃まみれで、あちこちがへこみ、時を待たずして摩耗してしまっている。この空間を照らしているのは、たった一台のテレビのブラウン管の明かりだ。
 カメラの前進は続き──室内の風景を横切ってゆくスティディカムの官能的に引き延ばされた移動──、その不変の目的地、すなわち、ソファにもたれかけて奇妙に不動の姿勢をとっている身体へと向かう。それは観客である。カメラは、閉じられたまぶたのクロースアップでスクリーンがいっぱいになるまで、目標に迫っていく。顕微鏡的に映し出された(急速眼球運動の状態を示す)まぶたの震えが、広大なミズーリを横断する大型幌馬車の、あるいは、蜂起して上官たちを虐殺するロシアの水兵たちの叙事詩にも似たスケールを帯びる*1
 不快な夢に驚きでもしたように、まぶたが持ち上がる。突然、水をたたえた底知れぬ深みが現れる──『ムーンフリート』に出てくる失われた宝石が隠された要塞の深い井戸のような。開かれたその眼はまるで、宇宙飛行士の無垢のまなざしによって、惑星の風景からかろうじて一部だけ見分けのつく地球外の生命体のようである。
 ソファの上のその人物は君だ。君は人生の半ばに目覚め、自分が今たった一人でいる場所を、しばしのあいだ映画館であると思い込む。時は、20世紀の終わりに近いある夏の夜の午前2時といったところのようだ。街からは人や車の往来や、エアコンの絶え間ない騒音、沈黙と同じぐらい画一的なざわめきが聞こえてくる。クラック中毒者たちが、のぞき部屋の日よけの下に隠れ家を求めて群がる。カーラジオから聞こえる低音のパターン音が、車の寂しげなクラクションの伴奏がわりになっている。
 ケーブルテレビがつけっぱなしのままだ。『四枚の羽根』で、ラルフ・リチャードソンが盲目になる場面がまた映し出されている。ミクロス・ローザの音楽が、残酷な出来事を強調する。救世主マフディを信じる狂信者たちの軍隊が接近しつつあるのを見張っていたリチャードソンが、双眼鏡を一心にのぞいていると、彼のヘルメット帽が岩場を転がって、はるか下のスーダンの砂漠に落ちてしまうのだ。灼熱の太陽にさらされたまま身動きできず、彼の視神経はやがて焼き切れてしまうだろう。
 君が映画館だと思い込んだ場所は、実は家の中だった。
 家といっても、むしろ受信所に近い特殊な家だ。いみじくも「スタジオ・アパートメント」と名付けられ、映写室、レコーディング・スタジオ、小規模の記録保管所の機能をあわせ持っている。ポスター、絵はがき、カセットテープ、レザーディスク、サントラ・アルバム、スティル写真の本でひしめきあう、何でもありの博物館だ。家というのは、最終的には、どこであれ映画が上映されている場所、ホーム・エンターテインメント・センターにつながるプラグがある場所ならどこでも立ち上がる携帯用テントのようなものである。ジャングルの真ん中の針金で囲まれていてレーダーでガードされた空き地、そこで非番の兵士たちが一時だけ自分がどこにいるかを忘れることができる場所である。(続く)

*1:それぞれ『ミズーリ横断』と『戦艦ポチョムキン』を指している