明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

チャールズ・ヴィダー『Blind Alley』――映画と精神分析――

気がつけば、びっくりするほど長い間更新していなかった。リハビリがてらに、小さなネタでもいいから今年が終わるまでにせいぜい更新していこうと思う。

チャールズ・ヴィダー『Blind Alley』(39) ★★


ハリウッドが精神分析を映画に取り入れた最初の一例。

ギャングのボスが、警察の追跡をかわすために、手下を連れて近くの民家に立てこもる。その夜、たまたまその家に居合わせたゲストたちと、ギャング一味との緊迫したやり取りが描かれてゆくのだが、ここまでは、ワイラーの『必死の逃亡者』を思わせる展開である。しかし、この映画の主眼は、実は、そこにはない。

ギャング一味が逃げ込んだ家は、偶然にも、大学で心理学を教えている心理学者、シェルビー博士(ラルフ・ベラミー)の家だった。博士はこの緊迫した状況にあっても終始冷静で、パイプをくゆらせながらウィルソンの一挙手一投足を観察し続ける。精神分析を実践してもいる彼は、ウィルソンが殺人衝動に駆られ、また、自分が発狂してしまうのではないかという不安にさいなまれていることを見抜く。ウィルソンはまた、繰り返される奇妙な悪夢にも悩まされていた。

博士はウィルソンに、問題を解決すために精神分析を受けてみてはどうかと勧める。ウィルソンは、最初、博士の言うことを一顧だにしないが、分析を受ければ不安を取り除け、悪夢も見なくなるという博士に次第に説得されてゆき、とうとう分析を受け入れる。

そして、分析を通じて抑圧していた幼少期の記憶(予想通りだ)がよみがえった瞬間、ウィルソンから不安が消え去る。しかし、それと同時に、彼から殺人衝動も消えていた。ラスト、家の周りを警察に囲まれた彼は、博士が制止するのも無視して、拳銃を片手に飛び出すのだが、分析を受ける前とは違って、拳銃の引き金を引くことがどうしてもできず、銃弾に倒れる。


原作は、当時大ヒットしたジェームズ・ワーウィックの戯曲で、たぶん原作にかなり忠実に作られているらしいこの映画は、ほぼ博士の家だけを舞台に、一晩限りの出来事を描いている。精神分析がたった一晩で成功裏に終わるというのは、専門家から見れば失笑ものだろうが、精神分析がまだまだポピュラーでなかったこの時代には、劇作上のリアリティのためにはこの程度のご都合主義はぜんぜん問題なかったのだろう。

いまだに精神分析にはあまり親しみがないわれわれ日本人から見ても、このあたりはリアリティに欠けるところである。しかし、何度か出てくる夢のシーンは、今見てもなかなか注目に値する。

一つ目は、ウィルソンを毎夜悩ませる悪夢で、その夢の中で彼は雨の中を傘を差しながら歩いているのだが、その傘には無数の穴が開いていて、雨が次から次へと漏れてくる。ウィルソンは手で穴をふさごうとするが、どうにもならない。この夢の場面では、ネガとポジを反転させるという、単純ではあるが、いまだに夢の表現に使われもする手法がとられている。

もうひとつの夢では、ウィルソンのトラウマとなった出来事が描かれるのだが、ここでは、壁が斜めに傾ぎ、遠近感が狂ったデコール(『カリガリ博士』を少し思わせる)が、無意識の世界を作り上げている。

夢の場面というのは、誰が撮ってもいささか陳腐なものになるもので、この映画でもそれは例外ではない。しかし、リュシアン・バラードの撮影も手伝って、この映画の夢のシーンはなかなか見ごたえのあるものになっている。


精神分析医が登場するアメリカ映画ということなら、ヴィクター・フレミングの『暗雲晴れて』(19) など、これ以前にも存在するし、30年代にもなると映画における精神分析医の存在はそれほど珍しくなくなっていた。IMDb でざっと調べたところによると、有名なものだけでも、ルイス・マイルストーンの『犯罪都市』(31)、ボザーキの『真珠の頚飾』(36)、フランク・キャプラオペラハット』(36)、ハワード・ホークス赤ちゃん教育』(38)、アナトール・リトヴァク『The Amazing Dr. Clitterhouse』(38)、マーク・サンドリッチ『気儘時代』(38)などが、精神分析医の登場するアメリカ映画としてリストアップされている。

いずれも、『Blind Alley』以前に撮られた作品である。しかし、精神分析がここまでプロットに絡んでくるアメリカ映画は、たぶんこの『Blind Alley』が最初だったのではないだろうか(ちゃんと調べていないが)。


ちなみに、この映画の約10年後に、ルドルフ・マテによるリメイク(というか、同じ原作の映画化)が撮られている。未見だが、こちらもなかなか評価が高いので、いずれ機会があれば見てみたいと思う。