ルビッチやプレストン・スタージェスの話をするのはかっこいいが、キャプラの映画なんかをほめると程度が低い人間と思われかねない。キャプラにはそういうところがある。アテネフランセでキャプラの映画が上映されることはあまりなさそうだし、あってもたぶん客はあんまりはいんないだろう。そんなところでキャプラの名前を出そうものなら、「キャプラだって? ふん、あのヒューマニストね」とかいわれてしまいそうだ。
しかし、わたしにはやっぱりキャプラは嫌いになれない。だれだって本当は嫌いになれないんじゃないか。
『ポケット一杯の幸福』はキャプラがハリウッドで最後に撮った作品だ。たしかに、このリメイク作品のオリジナルにあたる『一日だけの淑女』に比べれば力の衰えは隠しきれない。しかし、最後の作品としては立派だと思う。リンゴ売りに扮したベティ・デイヴィスは多少説得力に欠けるかもしれないが、淑女となった彼女は申し分がない。グレン・フォードはいつものように素晴らしいし、なによりわたしの好きな脇役たちがこれでもかというぐらいたくさん登場する。トーマス・ミッチェル、エドワード・エヴァレット・ホートン、ジャック・イーラム(はそんなに好きでもないが、欠かせない)、それにピーター・フォークまで!ピーター・フォークは『オペラ・ハット』のライオネル・スタンダーのような役所を演じていて笑わせてくれる。
ある対談で、『素晴らしき哉、人生』が好きだという山田宏一に、「あの頃はちょっと落ちてたのよ」と淀川長治はすかさず返していた。ひょっとすると、キャプラがサイレント映画を撮っていたことさえ知らない人も多いのかもしれない。せめて、キャプラがハリー・ラングドン主演で撮った3本のコメディぐらいは見ておいてほしいものだ。キャプラについて語るのはそれからにしてほしい。
そういえば、トリュフォーが『アメリカの夜』でアカデミー外国映画賞を取ったとき、アメリカに行き、大好きだったキャプラの夕食会に招かれたのだが、同じテーブルにキング・ヴィダーとジョージ・キューカーが座っていたので緊張しまくったそうだ。そりゃそうだろう。
イー・ツーイェン『藍色夏恋』★★
たいした映画ではないが、好感が持てる。エドワード・ヤンならこれぐらいの話はもっと大きな物語のなかでさらりと描いてしまうことだろう。ヒロインが体育館の柱になにか落書きをしているショットが何度か出てくるのだが、アップにならないのでなにを書いているのかわからない。最後にそれを見せるんだろうなと思っていると、案の定ラストショットがその落書きで終わるのだが、なぜか字幕が出ない。こういうところはちゃんとしてほしいものだ。最近中国語の勉強をしているのでなんとか読めたが(早速成果が出たのがうれしい)。