明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。































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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

スティーヴ・マクイーン『ハンガー』


大阪アジアン映画祭の字幕の仕事がやっと終わった。

KyotoDU というところで、映像と字幕を照らし合わせての最終チェックを行い、それでわたしが担当する部分は終わったのだが、これがなかなかきつかった。午後の2時から始め、気がついたら終わったのは夜の10時過ぎだった。チェックが終わった後で見に行こうと思っていた『チェンジリング』も、結局見そびれてしまった。


さて、時間の余裕もできたことだし、しばらく中断していたブログを再開するとしよう。



字幕の仕事で忙しかったあいだも、なんだかんだと見てはいたのだけれど、ブランクがあきすぎてしまって何から書いていいかわからない。なので、いちばんマイナーな話題を選んだ(このブログにはこういう話題がふさわしい)。


今回取り上げる作品は、スティーヴ・マクイーンの Hunger という映画だ。スティーヴ・マクイーンといっても、あの『大脱走』の俳優とはまったく別人である。こちらのマクイーンは、イギリス生まれの映画作家であり、Hunger は、その過激な内容からイギリス本国で物議を醸し、カンヌ映画祭のカメラ・ドールをはじめ、数々の賞を受賞して世界的にも話題になった彼の映画デビュー作なのだ。

二人は名前の綴りもまったく同じなので、まぎらわしい。日本では、世界的に有名な俳優のほうは、「マックィーン」と書くのがふつうだ。区別するためにも、この際、英国の映画作家のほうは「スティーヴ・マクイーン」という表記に統一したらどうだろう、とあらかじめ提起しておく。そのほうがたぶん発音にも忠実なはずだ。(もっとも、映画作家スティーヴ・マクイーンは眼鏡をかけた黒人で、見た目は『ブリット』の俳優とは似ても似つかない。)

それと、「飢え」というタイトルは、ノルウェーノーベル賞作家 Knut Hamsun の自伝的小説『飢え』を映画化したヘニング・カールセンの Hunger を、ただちに思い出させもする。実は、「カイエ・デュ・シネマ」の表紙でこのタイトルを最初見たとき、わたしはヘニング・カールセンの映画がリメイクされたのかと思ったのだが、もちろん、こちらもマクイーンの作品とはまったく関係がない。

(クヌート・ハムスンの『飢え』は50年ぐらい前に文庫本が出ていたようだ。もちろんいまは絶版。この本のなかには入ってるのだろうか(未確認)。


映画作家としては新人だが、マクイーンはそれ以前にすでに、絵画やヴィデオ・アート作品によって、美術の世界では有名な存在であったようだ(マクイーンは、1999年に、ビデオ・インスタレーション作品によって、イギリスのオスカーとも呼ばれるターナー賞を獲得している)。日本でも、Hunger を見たり、その噂を聞いた人たちがブログに書いた記事などを通じて、マクイーンの名前はすでにささやかれはじめている。とはいえ、今のところ、ほぼ無名に近い存在だといっていいだろう。

わたしは、先ほどいったように、「カイエ」でこの作品の存在を初めて知った。当初は、Amazon.uk でしか DVD が手に入らなかったので、そこで購入して見たのだが、フランスでも、今年、 DVD が発売される予定である(仏版 DVD)。DVD を買った後で、東京国際映画祭Hunger が上映されたという話を耳にした。それが本当だとしたら、日本の映画ジャーナリズムはどこかに問題があるに違いない。『おくりびと』程度には騒げとは言わないが、もっと話題になっていて当然だと思うからだ。




見るものに爆弾のように強烈な印象を残す映画である。


Hunger が描くのは、北アイルランドのメイズ刑務所に収監されていた IRA 暫定派の活動家ボビー・サンズが、刑務所内での政治犯としての地位を要求し続け、それが拒否されると、66日間にわたるハンガー・ストライキを行ったあげく餓死するという、世界的な話題となった事件だ。日本ではあまり知られていない事件かもしれないが、英国人にとっては、日本人にとっての浅間山荘事件と同じぐらい、社会にインパクトを与えた出来事である。

作品のこうした背景は、冒頭、字幕で簡単に説明される。海外の観客にはたしかに最初は状況がよくわからないだろう。"blanket protest" だの "no wash protest" だのといわれてもピンとこないはずだ。しかし、心配しなくてもいい。見ているうちに状況は徐々に見えてくる。「説明」するのではなく、「存在」を提示するというのが、この映画でのマクイーンの一貫した姿勢だ。それに慣れるまで少し時間はかかるが、それだけに、イメージは生々しい存在感で迫ってくる。

わたしは、キャメラが指先であるかのように、視覚器官であると同時に触覚器官でもあるかのように、撮ろうと試みました。


キャメラは最初の数十分間、ひとりの男を追い続ける。男は、洗面台の冷たい水に両手を浸し、鏡に映った顔をじっと見つめる。食卓で黙って朝食を取り、家の外に出る。家の前の通りに出て、左右を確認する。静かな住宅街には人気がなく、それがなぜか不安感を見るものに抱かせる。男は自宅の前に停めてあった車のそばで不意にしゃがみ、車の下をチェックする。明らかになにかの危険を感じているようであるが、同時に、こうした一連の動作は彼にとってすでに日常となっていることも感じられる。

何も変わったことがないことを確認すると、男は車を発車させる。たぶん職場へと向かうドライブのあいだに、カーラジオから聞こえてくるナレーションが、メイズ刑務所における "dirty protest" について、補足的な説明を与えてくれる。男はとある建物に着き、制服に着替える。楽しそうに談笑する同僚たち。男が洗面所で再び手を水に浸すショット。指の第二関節に、さっきはなかった傷痕があり、洗面台の水がうっすらと赤く染まる。これらの一連のショットにはなんの説明も加えられず、その意味がわかるのはだいぶ後になってからだ。

映画は数分のあいだこの男を画面の中心にとらえ続けるが、男はいつも同僚たちとは距離を置いており、言葉もまったく交わさない。指の傷はなにかの暴力を示唆しているが、彼がその暴力の犠牲者なのか、それとも加害者なのかも定かでない(いずれにせよ、この男がこの映画の主人公なのだろうと、観客はここまで見てきてごく自然に思うはずだ。しかし、そうではなかったことがやがてわかる。その瞬間は衝撃的なのだが、いまは詳しく書かないでおく)。

男は、建物の外に出て、雪のなかでひとりたばこを吸う。同僚たちから離れて黙々と食事を取る男のショットにつづいて、誰もいないトイレの洗面所のショットが映し出され、そこに女性の声で、"There is no such thing as political murder, political bombing or political violence. There is only criminal murder, criminal bombing and criminal violence" と語るナレーションがどこからともなく聞こえてくる。知らない人には、ラジオの女性アナウンサーの声のようにも思えるが、実は、この声は当時の英国の首相マーガレット・サッチャー女史の声なのだ。


このように、音楽は皆無、台詞もほとんどないまま、映画は進んでゆく。視線は自ずとそこにある身体の所作へと集中する。Hunger は優れて身体の映画である。

収容されていた IRA のメンバーたちは、刑務所内での政治犯としての地位を要求して、様々な抵抗を試みた。彼らはまず、刑務所の囚人が着させられる制服を着用することを拒否する。これが "blanket protest" と呼ばれるものである。真っ裸の姿で生活する彼らにとって、身体は唯一の武器となってゆく。彼らは自分の排泄物を壁に塗りたくり、刑務所の廊下に尿を垂れ流す。彼らの抵抗が "dirty protest" と呼ばれるゆえんである。こうした試みは、もちろんこの映画のなかでも描かれているが、やはりほとんどまったく説明を与えられていない。壁に描かれた美しい渦巻き模様と、それを看守が流し落としていくショット、あるいは、濡れた廊下を画面奥から手前のキャメラに向かって看守がゆっくりとモップで拭いてゆく姿をフィックスで捉えた長いショットがあるだけだ。

看守たちによって彼らの身体に加えられる暴力の描写も半端ではない。真っ裸の二人の囚人が、楯と棍棒をもって完全に武装した数十人の看守たちに取り囲まれて滅多打ちにされる場面など、正視しがたいほどである。

そして、その身体に加えられる暴力の極みが、ボビー・サンズによるハンガー・ストライキなのだ。自らによって加えられる暴力、いわば内面化された暴力は、ボビー役を演ずるマイケル・ファスベンダーが、実際に断食を行って作り上げたという、やせ細った身体に痛々しく具現化されている。

この映画に描かれるのは、20年以上前にイギリスでおきた出来事である。しかし、刑務所内の暴力、身体を唯一の武器とする抵抗といった主題は、アブグレイブグァンタナモ、あるいはイスラム自爆テロといったアクチュアルな問題とも密接に関わっており、全的な否定を含めた様々な反応を観客に引き起こすだろう。


ここまで書いて、なにか寡黙な映画という印象を与えてしまったかもしれない。たしかに、途中まで映画はほとんど台詞もないまま進行する。しかし、ボビー・サンズがハンガー・ストライキの是非をめぐって神父と議論を交わすシーンでは、20分間にわたって、キャメラは二人の議論をフィックス・ショットで撮りつづける。ここでは、文字通り言葉だけが画面を占めているのだ。

いずれにせよ、観客にとっては、厳しい映画である。しかし、とうてい無視しがたい映画であることは間違いない。