ベーラ・タル『倫敦から来た男』(The Man from London)
タル・ベーラことベーラ・タルが、ジョルジュ・シムノンの小説を映画化した新作。
夜の波止場。水面をとらえていたキャメラが、港に泊められていた船の船首にそってゆっくりと上昇してゆく。デッキにたどり着くまで約5分。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』や『サタンタンゴ』の流麗なキャメラ・ワークは健在である。
いつものベーラ・タルだ。しかし、『ヴェルクマイスター』や『サタンタンゴ』の大言壮語的なというか、大仕掛けな作風とくらべると、『倫敦から来た男』はずっとシンプルな作品に仕上がっている。無論、それにはシムノンの原作の存在がおおきく関係しているのだろう。
「カイエ」のインタビューを読むと、ベーラ・タルは本気でシムノンの小説を気に入り、映画化したいと思ったようだ。彼がフランスの国民的推理作家の小説を映画化したことに驚きを隠せない「カイエ」のインタビュアーに、ベーラ・タルは逆に驚いてみせるのだが、実をいうと、わたしもベーラ・タルとシムノンというのは全然ピンとこない組み合わせだと思っていた。
実際に作品を見てみて、想像した以上に見事に、暗黒小説的な雰囲気が作り上げられていたので、それには少しびっくりした。とりわけ、主人公のスイッチャーというんだろうか、深夜、線路を切り替える仕事をしている男が仕事場にしている塔のセットがすばらしい。その窓から、港に停泊している船と、その脇を走る線路がパノラマ的に見渡せ、そこで目撃した事件が彼の単調な生活を狂わせることになるのだ。ベーラ・タルは、塔はもちろん、線路までわざわざ敷いてこのセットを作り上げたという。このこだわりは『ポンヌフの恋人』のカラックス以来といえるかもしれない(しかも、途中でプロデューサーが亡くなったために、一度作り上げたこのセットを撤去するハメになっているのだ)。
しかし、それがシムノンの世界かというと、微妙ではある。周知のように、シムノンの探偵小説というのは、トリックや意外な犯人ではなく、味わい深い人間描写にその魅力の大部分があるといっていい。思うに、ベーラ・タルという監督の映画は、ロング・ショットで撮られてるときはいいのだが、キャメラが人物に近づくと、とたんにリアリティをなくしてしまうような気がする。それが、この作品では特に著しく感じられるように思うのだ。ある意味、これほどシムノンの世界から遠い映画作家もいないのではないだろうか。
別に、シムノンが原作だからといって、その世界を再現する必要はない。しかし、正直いって、見ていてこれほどむなしくなる映画は久しぶりだった。これほどのイメージが、これほど空虚なものに費やされているという空しさだ。だが、この空しさは、最終的に2つの死体を残しながら、結局ひとりの犯人も捕まることなく終わる物語、結局は何事もなかったかのようにすべてが元に戻る物語にふさわしい空しさだといえなくもない。そういう意味では、調和のとれた作品ということになるだろう。
(「いくつかの近作についての短い覚書」という括りは、ネタも切れてきたので、そろそろ終わりにします。)
追記:下のコメントにもあるように、この作品は11月の公開が決まった模様。