明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。



























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神戸映画資料館でわたしが行っている連続講座「20世紀傑作映画再(発)見」の第7回は、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』に決まりました。

2019年7月7日(日)
連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見
第7回「ネオリアリズムから遠く離れて──『無防備都市』再考」
詳細

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

モーリス・エンゲル『小さな逃亡者』

もしも若きアメリカ人モリス・エンゲル が、その美しい映画『小さな逃亡者』で、われわれにインデペンデント映画への道を示してくれなかったら、ヌーヴェル・ヴァーグは存在しなかったでしょう。

フランソワ・トリュフォーザ・ニューヨーカー


ある写真の物語

若きフランソワ・トリュフォーが、ジャン・ドラノワ、クロード・オータン=ララルネ・クレマンといった当時のフランスの売れっ子映画監督たちと、彼らの作品を支えていた脚本家たち、とりわけジャン・オーランシュピエール・ボストらをまとめてこき下ろし、彼らに代表される「良質の」フランス映画が標榜していた「心理的リアリズム」の虚妄を暴き立てて、「フランス映画の墓堀人」とまで呼ばれたことはよく知られている。そして、彼らへのいわば宣戦布告のマニフェストとしてトリュフォーが書いた文章が、あの有名な「フランス映画のある種の傾向」だった。

ところで、この「爆弾論文」(ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ)が発表された「カイエ・デュ・シネマ」誌第 31 号(1954 年 1 月号)の表紙写真には、手にボールのようなものを持っている、いたずら好きそうな少年が写っている。少年の名前はリッチー・アンドルスコ。といっても、名前を聞いてピンと来る人はほとんどいないだろう。ただ一本のアメリカ映画に出演しただけで、映画の世界からはすぐに姿を消してしまった素人子役俳優である。

この無名の子役が主演し、写真家としてはそれなりに名前を知られていたとはいえ、映画監督としてはこれまた無名に近かった新人、モリス・エンゲルが監督したその映画、『小さな逃亡者』(Little Fugitive)こそは、「カイエ」第 31 号の表紙を飾った作品だった。

実は、その前年、53 年のヴェネチア映画祭で、『小さな逃亡者』は銀獅子賞を受賞している。もっとも、この年のヴェネチアは、コンペ出品作品に金獅子賞該当作なしとされた不作の年だった(受賞を逃した作品のなかには、溝口の『雨月物語』も入っていたのだ!)。その代わりに合計6作品が銀獅子賞を与えられ、その中の一本が『小さな逃亡者』だったというわけである。とはいえ、このきわめて低予算で撮られたアメリカ製の完全なインデペンデント映画が国際映画祭で金星をあげたのだから、一定の注目を浴びたのは間違いない。

トリュフォーにとって、そして、「カイエ」という雑誌自体にとってもきわめて重要な意味を持っていたはずであるこの号の表紙を、ほぼ無名に近い映画が飾ったのには、ヴェネチアでこの作品を見ていたく気に入ったアンドレ・バザンの強い意向があったからだという。バザンはヴェネチアでこの映画を見たときの印象を、「今年もっとも独創的なネオリアリズムの出来事だ」と記している。バザンにとって、この映画はネオリアリズムの系譜に連なる作品だった。一言でいうなら、この映画は、トリュフォーが否定した「良質のフランス映画」の対極ともいえる作品であり、その意味で、まさにこの「カイエ」第 31 号の表紙にはうってつけの作品だったのだ。

(ついでにいうと、アメリカのどこの配給会社も引き受けてくれなかったこの映画の配給を引き受け、ヴェネチアに出品するまでにこぎつけた独立配給業者ジョセフ・バースティンは、『無防備都市』『自転車泥棒』などのイタリアン・ネオリアリズム映画をアメリカに紹介した人物でもある。彼はまた、『小さな逃亡者』と同じ 53 年、同じようにどこの配給業者からも断られたキューブリックの長編第一作『恐怖と欲望』の配給を引き受けたりもしている。『小さな逃亡者』でヴェネチアの銀獅子賞のトロフィーを壇上で受賞したのもバースティンだったのだが、奇しくも、彼はこの賞を受賞した年に飛行機事故でなくなっている。このあたりも掘り下げていくと面白そうだが、話がわき道にそれすぎてもいけないので、このあたりにしておこう。)


「小さな逃亡者」

『小さな逃亡者』は、母親が遠くの親戚のところへ行っているあいだ留守をまかされた二人の幼い兄弟を、なかばドキュメンタリーふうに撮った映画である。どこに行ってもついてくる弟が煩わしくなった兄は、おもちゃの拳銃で撃たれて死んだふりをして、弟をやっかい払いする。兄を殺してしまったと思い込んだ弟は、わずかばかりの金を持ってコニー・アイランドに逃亡し、人混みのなかを一人さまよう。『ミツバチのささやき』を思い出させもする展開ではあるが、この冒頭の擬死のドラマは、主人公の少年をひとりでコニー・アイランドにいかせるためのきっかけにすぎないように思える。少年は、メリーゴーランドの馬に跨り、遊技場の玉あてに熱中し、カウボーイの格好をして写真を撮ってもらう(写真屋を演じているのは、セサミストリートのミスター・フーパー役で知られるウィル・リー)。その姿は、自分が兄を殺してしまったことなどまったく忘れてしまっているかのようだ。少年の演技は大部分が即興で、キャメラはただそれを追っかけているだけのように見える。ジョセフ・バースティンによると、すべては入念なリハーサルをへて撮られたというが、バザンが指摘しているように、アマチュア映画と見なされたくなかったのでそんな主張をしただけかもしれない。

やがてお金が底をつくと、少年はコカコーラの空き瓶を集めて、それを換金することを思いつく。嵐が近づいてきて、急に人気のなくなった砂浜にひとりぽつんといる弟を、兄がようやく発見するところで映画は終わっている。


ネオリアリズムとニューヨーク派

『シネマ』のドゥルーズのいう「純粋に光学的・音響的状況」を描いた映画のモデルといってもいいような作品であり、その意味でも、バザンがこれをネオリアリズムと結びつけて考えたのもうなずける。一方で、この映画は、ちょうど同じ年に俳優として本格的にデビューしたジョン・カサヴェテスが、その数年後に撮りあげる『アメリカの影』を、多くの点で予告している。素人ばかりを使ったキャスティング、ロケーションのみの撮影、即興的演出などなど、共通点は多い。しかし、『アメリカの影』が 16 ミリで撮られたことを考えれば、わざわざ軽量の 35 ミリキャメラをこの映画のために開発したモリス・エンゲルの方が、技術的には先を行っていたとさえいえる(ゴダールは、60 年代の初め、モリス・エンゲルに、このキャメラを買いたいと手紙を送ったそうである)。

モリス・エンゲルは、ポール・ストランドとも親交があり、39 年に彼の紹介で初の写真展を行い、ストランドの有名な左翼的アジプロ映画『Native Land』(42) の助監督をつとめさえしている。KINO からでている『小さな逃亡者』の DVD の特典映像では、リチャード・リーコックや『Salesman』アルバート・メイズルス、『ドント・ルック・バック』のD・A・ペネベイカーらが、『小さな逃亡者』から受けた影響について語っている。ストランド、リーコック、メイズルス、ペネベイカーといった名前を並べてみれば、モリス・エンゲルがどのような系譜に属する人物かは、自ずと想像がつくだろう。

イタリアのネオリアリズム映画と、ニューヨーク派のインデペンデント映画、フランスのヌーヴェル・ヴァーグをつなぐ映画史的に非常に重要な存在、と、いまならいうことはできる。しかし、バザンらの熱狂的支持にもかかわらず、この作品は、長いあいだ忘却の彼方に置かれることになる。


トリュフォーと『小さな逃亡者』

"Our New Wave would never have come into being if it hadn't been for the young American Morris Engel, who showed us the way to independent production with his fine movie The Little Fugitive" というトリュフォーの言葉は、すでによく知られている。しかし、『小さな逃亡者』がトリュフォーらに与えた影響は、ごく最近になって注目されはじめたにすぎない。たとえば、山田宏一の『トリュフォー 映画的人生』には、『小さな逃亡者』のことは一言も言及されていない(この本のなかには、『小さな逃亡者』が表紙になっているあの「カイエ」第 31 号の写真さえ掲載されているというのにだ)。映画というのは、こんなにも簡単に視界から消え失せてしまうものなのである。

(『大人は判ってくれない』は、ストーリー的にも、『小さな逃亡者』と重なる部分が少なくない。その意味でも、トリュフォーとこの映画との関係は興味深く思える。ところで、『大人は判ってくれない』は、ジョセフ・バースティン賞最優秀外国映画賞なる賞を取っているのだが、これも何かの巡り合わせか。むろん、このときには、バースティンはすでに死んでいたのだが。)

『小さな逃亡者』は、昨年、フランスでにわかに公開され、ようやく一般の観客の目に触れるところとなった。バザンの発見から、実に 50 年以上がたっている。当時としては斬新だったこの映画の手法も、いまではごくごく当たり前のものとなってしまった。ここに来てようやく、この映画を、映画史的重要さとは無関係に、映画そのものとして評価できるときが来たということもできるだろう。さあ、問題はそこだ。この映画が、映画史的に重要な作品であることはたしかである。しかし、映画として、いまのわれわれをどれだけ刺激するかという点については、わたしには若干疑問が残るのだ。

見ていて心地よい映画ではある。しかし、この映画の画面は、映画監督というよりは、写真家の感性で捉えられているといっていい。木橋を支える柱の影が砂浜につくる縞模様のなかに少年がたたずむショットなどがその典型だ。たしかに美しいショットではある。この感性は、たぶんいまの日本の観客にも受けるだろう。しかし、ひょっとしたら今の観客に一番受けるかもしれないそういう部分が、わたしには、この作品の映画としての弱さにどうしても見えてしまうのだ。こういう画面をすばらしいと思うか、逆に、この映画の弱さと感じるかによって、この作品の評価は変わってくるだろう。