明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

詩人の声で語る人類学者〜ヴィットリオ・デ・セータについての覚書


ヴィットリオ・デ・セータ Vittorio De Seta


1923年、シチリアパレルモの貴族の一家に生まれる。最初、ローマで建築を学んでいたが、ジャン=ポール・ル・シャノワがイタリアで映画のロケをした際*1にたまたま助監督の仕事をしたことをきっかけに、映画の道に進む。1953年に、16ミリ・キャメラを持ってイタリア南部にゆき、そこで初めていくつかのシークエンスを撮影。そしてその一年後、デ・セータは再びそこに戻って5年間で10本の実に魅力的な短編ドキュメンタリー映画を撮りあげる。

それらの短編ドキュメンタリーは Carlotta より出ている DVD 『Vitttorio De Seta - Le Monde Perdu』のなかにほぼおさめられている。デ・セータは、徴兵された際に自分の育ってきた環境とはまったく違う労働者階級のそれを発見し、強く惹かれたという。彼のドキュメンタリーには、文明から遠く離れて暮らす農民、炭坑夫、漁師、羊飼いたちのの日々の暮らしや彼らのしぐさ、そこで数千年来変わらず続いている風習や伝統、今はもちろん、撮影された当時においてさえ、すでに失われかけていた風習や伝統が記録されている。デ・セータは、ジャン・ルーシュがアフリカを撮ったように、あたかも人類学者として、これらの風景や人物たちと向き合っていると言ってもいい。

ナレーションはまったく使われず、セリフもほぼ皆無。黙々と労働にいそしむ人びとの姿や、村の伝統的祭りの様子などが、淡々と映しだされてゆく。一見素朴なドキュメンタリーに見えるが、同時録音でないことを利用して(?)映像とサウンドを微妙にずらすなど、さりげなく技巧を使っていることも見逃せない。そしてなによりも、なんでもない現実の風景からポエジーを立ち上がらせるまなざしの鋭さが圧倒的だ。「デ・セータは詩人の声で語る人類学者だ」というマーチン・スコセッシの言葉ほど、簡潔で的確な言葉はないだろう。

なぜかすべてヴィスタサイズで撮られているのが、この時代としてはめずらしいのではないかと思う。DVD はすべてレターボックス・サイズで収録されているのが残念だが、それでもその鮮烈な美しさは十分に感じ取ることができる*2



デ・セータの名を知らしめたのは、これらの短編ドキュメンタリーの次に彼が撮った長編劇映画『オルゴソロの盗賊』である。慎ましい生活をしていた羊飼いが、謂われなき憲兵殺しの疑いをかけられて、年若い弟と共に逃亡生活を余儀なくされ、最後は、貼られたレッテル通りの盗賊となってゆく。短編ドキュメンタリー「Pastori a Orgosolo」や「Un giorno in Barbagia」で描かれていた羊飼いの生活が作品の中にさりげなく取り込まれていたりして、記録映画作家としての才能が遺憾なく発揮されている作品だが、同時に、この映画には鋭い社会的メッセージが込められている。貧困による犯罪の犠牲者が、自ら犯罪者となりはてるという物語は、たとえばデ・シーカの『自転車泥棒』と同じものだと言ってよい。しかし、「カイエ」の批評家ジャン=アンドレ・フィエスキは、公開当時、「ネオ・ネオ・リアリズム」と題した記事で、この映画が従来のネオ・リアリズム作品とどの点で違うかを次のように分析している。

『揺れる大地』のヴィスコンティと『自転車泥棒』のデ・シーカは、受け入れがたい社会的現実を登場人物に自覚させ、それを観客にも伝える際に、前者は造形において、後者はモラルにおいて、形式主義に陥っている。デ・セータの『オルゴソロの盗賊』は、登場人物自身が自分のおかれた現実に徐々に気づいていくさまを、ドキュメンタリー的まなざしによって浮かべあがらせていくという点で分析的であり、また、社会的状況についての判断を、最後は観客自らにゆだねているという点で総合的である、と。

フィエスキは、(ソ連の)「左翼の映画作家が非常に重視する、テーマの明快で首尾一貫した弁証法的表現」をこの映画に見いだし、その際、マーク・ドンスコイの『母』を例に挙げているのだが、わたしはというと、この映画を見ながら思いだしていたのはエイブラハム・ポロンスキーの『夕陽に向かって走れ』だった。ネオ・リアリズムの作家があれをリメイクすればこんな映画になるのではないか。そんなことを考えていたのだ。

ちなみに、ジャック・リヴェットは、1963年の「カイエ」ベストテンにこの作品を選んでいる。

『オルゴソロの盗賊』はヴェネチア映画祭で受賞し、デ・セータの国際的な評価も一気に高まったのだが、その後、成功作に恵まれず、やがてはすっかり忘れられていく。彼の再評価が高まるきっかけとなったのは、2004年に Salvo Cuccia によって撮られたドキュメンタリー『Détour De Seta』だったと言われる。Carlotta からの DVD 発売もその流れを受けたものだろう。デ・セータの再評価には、イタリア系の映画作家マーチン・スコセッシもおおきくかかわっていたようだ(スコセッシと並ぶヴィットリオ・デ・セータの写真)。

日本ではまだ無名に近い存在と言っていいだろう。せめて DVD ぐらい出るといいのだが……。


*1:『Village magique』の撮影のことだと思われる。デ・セータはこの映画に脚本家としてもクレジットされている。

*2:ここで使われているフィルムは、当時テクニカラーの向こうを張っていた "Ferraniacolor" と呼ばれるカラーフィルムらしい(調査中)。素材が同じだからそう思っただけかもしれないが、ジャン=ダニエル・ポレの『地中海』を少し思い出させる色彩だった。