ハルーン・ファロッキの『How to Live in the German Federal Republic』 の DVD が出るようだ。DVD になるのは初めてではないだろうか。ドイツではファロッキ作品の5枚組 BOX が出ているが、英語字幕がついている気配はないし、もれている作品も結構多い。どこかから完全版全集 DVD-BOX を出してくれないものか。
さて、この機会にファロッキの作品を一本紹介しておく。2007 年に撮られた『猶予』(Aufschub) という作品だ。
いままさにプラットフォームから発車しようとしている列車から、少女が顔をのぞかせている。どことなく素人くさいこの白黒映像において、列車の乗客の顔を、キャメラがアップで捉えるのはこの瞬間だけだ。これから自分が死ぬ運命にあることを予感しているのだろうか、少女の顔はどこか不安げである。
この映像が撮られたのは、ナチス・ドイツがオランダ北東部のホーフハーレンに置いていたヴェステルボルク通過収容所。少女を乗せた列車は、「最終解決」がおこなわれる別の強制収容所へと向かって、発車してゆくところなのだ。
ヴェステルボルク(ウェステルボルクやウェスターボルクなどとも読む)は、1938 年末に、ナチスを逃れたユダヤ人などの難民を収容する難民キャンプとしてつくられた。1942 年、オランダが占領されると、ウェステルボルクはナチによって、 "transit camp" へと機能転換される。民族虐殺がおこなわれたいわゆる絶滅収容所ではなく、そこへと移送されるものたちが一時的に収容されるキャンプである。収容者たちは、ここから定期的に、ベルゲンベルゼンやアウシュヴィッツへと送られて、そこで殺されたのだ。あのアンネ・フランクが、ベルゲンベルゼンの収容所で 15 歳の生涯を終える直前に収容されていたのも、この収容所だった。
少女を乗せた列車の映像は、非常に有名なものであり、スチール写真をふくめれば、どこかで眼にした人も多いだろう。ゴダールの『映画史』でもこのフィルムは使われている。撮影したのはヴェステルボルクに収容されていたユダヤ人の一人だった。名前はルドルフ・ブレスラウアー (Rudolf Breslauer) 。彼ものちにガス室に送られて、殺されたことがわかっている。少女のイメージは、長いあいだホロコーストの犠牲となったユダヤ人の象徴的イメージとして使われてもきた。しかし、今では、彼女はシンティと呼ばれる(あるいは、自称しているといったほうがいいのか)ドイツ語圏にすむロマ=ジプシーであったことがわかっている。
実は、この映像は、一本の長編映画のなかにまとめ入れられるはずだった。ブレスラウアーは、ヴェステルボルク通過収容所を管理していたナチの司令官の命をうけて、収容所の様子を撮影していたのである。しかし、その映画は完成しなかった。撮影された 90 分ほどの映像は、ほとんど編集されることもなく、撮影場所ごとにかろうじて分類されただけだった。以後、それらの映像は、それが一つの作品にまとめ上げられる予定であったことを忘れられ、断片としてのみ見られていくことになる。
ハルーン・ファロッキの映画『猶予』は、ブレスラウアーが撮影したフィルムに、なんの映像も付け足すことなく再構成したフィルムである。「サイレント映画」という字幕ではじまるこの映画には、ナレーションも一切加えられていない。ファロッキがブレスラウアーの映像に付け加えたものは、映像にコメントを加える字幕(intertitle)のみである。しかし、この字幕がときにものすごい起爆力をもっているのだ。
わずか 40 分ほどのこの作品のなかで、ファロッキは一つひとつの映像を驚くほど詳細に分析していく。移送列車の発車を待つプラットフォームを、荷台に載せられて横切っていく女のカバンに書かれたわずかの文字から、女の名前だけでなく、何月何日にアウシュヴィッツで殺されたことまでが割り出される。さらには、この映像が撮影された日付さえ、そこから特定できるのだ。この日の移送列車の窓ガラス越しにひとりの少年が手を振る。そして、同じ列車の別の窓から、ひとりの男性がこちらに向かって微笑む……。
この収容所に何人がつれてこられ、ここから他の収容所に何人が移送されるかを示していると思われるチャートの真ん中に、工場の煙突から煙が上がっている様子を単純化した絵が描かれている。ヴェステルボルクを表したロゴであろう。ヴェステルボルクは一種の工場として考えられていたことがわかる。実際、ブレスラウアーが撮影した映像の多くは、収容者たちが働く様子をとらえている。当時、ヴェステルボルク収容所は閉鎖の危機にあった。この映画が撮られた目的は、収容所内の労働の様子を通して、この収容所がいかに有益であるかを示し、収容所の存続に役立てることにあったのだ。まずこの事実に驚かされる。これらの映像断片のなかには何度か目にしていたものもあったが、そのような文脈で見たことは一度もなかったからだ。
ヴェステルボルクには農場も存在した。「Our Farm」(われわれの農場)という字幕につづいて、農地を耕す牛の映像が映し出される。その直後に、収容者たちが鋤で農地を耕す映像がつづく。ファロッキはそこに次のような字幕を加えている。「この映像が意味するものはただひとつだ。すなわち、〈われわれはあなた方のために働く動物です〉」一方で、ここには一人の SS の姿も映っておらず、喜々として働く収容者たちは、まるで自分たち自身の農地を耕しているかのようである(ここだけでなく、多くの場面で、SS たちの姿は排除されている)。この場面を見ていると、革命初期のロシアのサイレント映画を思い出しさえする。しかし、ファロッキは、地面に横になって休憩する収容者たちの姿に、ブーヘンハルト強制収容所で地面に横たわるユダヤ人たちの死体のイメージを、字幕を通して、重ね合わせてみせる。
ヴェステルボルクには働く場所だけでなく、病院や、学校や、レクリエーション施設さえ存在した。病院の医者も患者も、収容所の収容者たちだ。どちらも、のちにガス室送りになったと字幕がコメントする。ヴェステルボルクの研究所で白衣を着て研究をする収容者たちの姿に、アウシュヴィッツの人体実験のイメージが、歯医者の姿に、アウシュヴィッツの死体の歯から金を取り出すイメージが、ケーブルをリサイクルする姿に、アウシュヴィッツでユダヤ人の髪や骨が再利用されるイメージが二重写しになる。アウシュヴィッツの映像が、実際にモンタージュされるわけではない。字幕によって喚起されるだけである。
ここの収容者たちは、ときにオーケストラの演奏をおこなったり、舞台で陽気な出し物を演じたりもしていた。こうした映像は、悲惨な場所であるべきはずの収容所について、不適切なイメージを与えかねないとして、あまり使われることがなかったものだ。ファロッキは、ユダヤ人たちが楽しげに笑っているこうした映像も排除することなくあえて見せ、字幕でその笑顔に注意を喚起しさえする。
知識がイメージを見ることを邪魔する(たとえば、移送列車の少女はユダヤ人だという思い込み)。あるいは、イメージ自体が遮蔽幕となって、知ることを邪魔する。よくあることである。しかし、人々は安易にイメージを理解してしまうのだ。この映画にファロッキが付け加えた字幕は、イメージを絵解きするのではなく、イメージを別のイメージへとつなぎ、あるいは、別の知へと開く。どこかで見たことのある〈ショアー〉の映像が、この映画のなかでは、まるで初めて眼にする映像であるかのように現れる。この映画を見るまでわたしが知らなかった情報も多い。教育的な映画である。しかし、それはこの映画が知識を授けてくれるからではなく、イメージを「見ること」と、イメージを「理解する」こととのあいだの距離を理解させてくれるからだ。
「猶予」とは、ヴェステルボルクというこの通過収容所の収容者たちの置かれていた状況を、まずは指し示している言葉だろう。微笑んではいても、収容者たちは死を猶予されている者たちにすぎない。しかし、同時に、「猶予」とは、イメージの置かれた状態を指しているように思える。映像もまた、猶予された状態にあるのだ。1944 年に、アメリカの偵察機がアウシュヴィッツの上空から撮影した写真の意味を、CIA が理解するまで 33 年を要した。『ヒア&ゼア』のゴダールは、パレスチナで撮影したフェダインたちの映像に、数年後、その声を返してやった。この「サイレント映画」のなかの猶予された死者たちの声なき映像も、意味を与えられるのを待っている。しかし、ただ「見る」だけでは、その意味はすり抜けていくことをこの映画は教えてくれる。