明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ジョセフ・ロージーとマクマオニアン〜ピエール・リシアン覚書


11月1日から5日まで「大阪アジアン映画祭2006」が開催された。この映画祭の最中に、ピエール・リシアンなるフランス人が来るので相手をしてほしいという暗黒の指令が Planet Studyo Plus One の富岡氏から送られてきた。ときおりこのような闇の指令が送られてくるのだが、たいていそれでなにか得をするわけではない。面倒くさいことも多い。しかし、なにかの経験にはなるので大概は引き受けることにしている。

さて、このピエール・リシアンなる人物、最初は聞いたこともない名前だったのだが、調べているうちにかなり重要な人物だということがわかってきた。IMDb によると、ゴダールの『勝手にしやがれ』の助監督を務めたことがあり、ジョゼ・ジョヴァンニの『Dernier domicile connu』(70)では press attache(「大使館報道官」 という訳が辞書には載っているが、まあ宣伝係といったところか)をやっている。その後、監督業に乗り出し、同時にプロデューサーとしてロメールの『グレースと公爵』のアソシエイト・プロデューサーを務めたりもしている。

IMDb にはこれぐらいのことしか書いていないのだが、ネットで調べているうちにここには漏れている作品がほかにもいろいろあることがわかってきた。フィルモグラフィー的には、フェルナンド・ソラナスの『スール』の助監督、ジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』、ホン・サンスの『女は男の未来だ』『Conte du cinéma』のアソシエイト・プロデューサーなどの情報が抜けている。しかし、ピエール・リシアンの重要さは、こういうクレジットに名前が出てくる作品以外のところにどうやらあるようだ。

今も昔も熱狂的なシネフィルであったリシアンは、若いころはいわゆるマクマオニアンとして知られていた。皆さんご存じだとは思うが、マクマオニアンというのは、パリの映画館 MacMahon に通って、フリッツ・ラングオットー・プレミンジャーラオール・ウォルシュなどのアメリカの映画作家たちを熱狂的に支持したシネフィルたちのことを指す呼び名だ。赤狩り時代にイギリスに亡命し不遇な生活を送っていたロージーを世界に認めさせるきっかけになったのは、このパリのマクマオニアンたちがロージーを「発見」し、擁護したことにあったことを思い出し、ロージーの長編インタビュー『追放された魂の物語─映画監督ジョセフ・ロージー』を読み返してみると、なんとロージー自身がピエール・リシアンのことにふれているではないか。ロージーは、イギリスではまったく注目されなかったこの時代の作品が、フランスのマクマオニアン、とりわけピエール・リシアン、ミシェル・ファーブル、クロード・マコウスキらのおかげで注目されるようになったと感謝の念を述べている。ロージーはもちろん、ウォルシュやラングなどともリシアンは親好があったようだ。


シネフィルなのはいまだに変わらないようだが、韓国のホン・サンスの作品を2本もプロデュースしていることからわかるように、リシアンの興味はいまはアジアのほうに向かっているらしい。そもそも、80年代にイム・グォンテクを最初にフランスに紹介したのは彼らしい。2002年に、リシアンはユネスコからフェリーニ・メダルという賞をイム・グォンテクとともに受賞しているのだが、そのときは友人であるイーストウッドから祝電をもらったそうだ(イーストウッドとも親好があるとははすごい)。

というわけで、話がそのへんのことになったときのために、『春香伝』のフランス語タイトルなどのアジア系の映画のタイトルがすらすら出てくるように予習をするついでに、ロージーのインタビュー本と同じ著者ミシェル・シマンによる分厚いインタビュー集『La petite planète cinématographique』のなかの、ホウ・シャオシェンやツァイ・ミンリャンなどアジア系の映画作家たちのインタビューに目を通していたら、キン・フーのインタビューのところで、「またしてもピエール・リシアンがいなければキン・フーのフランスでの発見は何年も先のことになっていたであろう」といった意味のことをミシェル・シマンが書いているのを発見し、驚いてしまった。
伝記『ハワード・ホークス』を書いたジャーナリスト、トッド・マッカーシーはリシアンを、 "the least known enormously influential person in international cinema" と評している(彼はリシアンについてのドキュメンタリーも準備しているようだ)。一般にはほとんど知られてはいないが、いま簡単に述べたように、映画史のいろんな場面に現れる陰の立て役者というか、まさに映画史の生き証人といってもいいような人物ではないか。これはいろいろ面白い話が聞けそうだ。


うーん、そう思って楽しみにしていたのだが、結局、会場には現れず会えなかったのだ。残念。

そのうちまた会う機会があるかもしれない。まあ、今回は、こうやってブログのネタがひとつできただけでよしとしよう。