明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


このサイトはPC用に最適化されています。スマホでご覧の場合は、記事の末尾から下にメニューが表示されます。


---
神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

---

評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『内部の人間の犯罪 秋山駿評論集』


京都駅に新しくできたビッグカメラで新型 iPod nano の実物を見てきた。写真ではちょっともっさりしているように見えたが、実物は、めちゃくちゃ薄いし、小さいし、かっこいい。ますますほしくなった。


☆ ☆ ☆


前々から、秋山駿の『内部の人間』が文庫になればいいと思っていた。出るとしたら講談社文芸文庫しかないだろう、と。その願いが叶った。『内部の人間』そのものではないが、そこをちょっとかすっている本が出たのである。予想通り講談社文芸文庫から先頃出版された『内部の人間の犯罪 秋山駿評論集』のことだ。


『内部の人間』からは表題作の文章が収められているだけで、残りは秋山駿のそれ以外の著書からの寄せ集めである。いずれも犯罪を論じた文章ばかりが集められていて、これはこれで興味深いアンソロジーになっている。思えば、異常なほど犯罪にこだわった人だった。

あれは『蜘蛛の瞳』だったろうか、ともかく、黒沢清のある映画を見ていたときのことだ。主人公の哀川翔は、よくわからないが何かの犯罪に関わっていることには間違いないある組織に属している。あるとき、哀川が組織のボス(というよりも、末端の管理者のひとりといった方がいいのかもしれない)大杉漣に会いに行くと、大杉漣が唐突に、「きみは秋山駿を読んだことがあるか」、と哀川翔に向かってたずねるのだ。まさか黒沢清の映画のなかで「秋山駿」という言葉を聞こうとは思っていなかったので、一瞬たじろいでしまったことを覚えている。しかし、いま考えてみると、黒沢清も『CURE』をはじめとする作品で、犯罪者を繰り返し描いてきたわけだから、別に秋山駿を読んでいたとしても不思議ではないとも思う。まあ、こんなことを考えているのは、黒沢清流のはったりにうまくのせられているだけなのかもしれないが・・・

蓮實重彦:たとえば中上健次にしても、秋山駿から間違いなくある種の刺激を受けていると思う。(・・・)妙な人で、よくわからないけど、面白いと思うんですよ。あの時代に秋山駿がいたということはね。
柄谷行人:彼は後に文壇的批評家になるんですけれど、六〇年代後半では本当にポツンといたんですね。(・・・)ぼくはその時期の秋山駿は非常に好きだった。結局彼がやっていたのは、一般性を決してもちえないような自己の問題ですね。これはその時代流行していたアイデンティティ論とまったくちがう。また、彼は犯罪の問題をやっていたけど、それも『あらゆる犯罪は革命である』とかいう本とまったくちがっていた。(・・・)秋山がやっていたのは犯罪の意味や哲学ではなく、犯罪の心理や内面でもなく、そこに存する「私」の問題だからね。

『近代日本の批評II 昭和篇 下』

「「犯罪」とは―。
都市の空虚なビル、そのコンクリートの壁の上に、簡単な一本の線で描かれる「人間」の形である。
少年による「理由なき殺人」の嚆矢、小松川女高生殺人事件。
犯人の少年の獄中書簡に強く心を衝たれた著者は、動機の周りを低回する世間の言説に抗し、爆発的な自己表現を求めた内部の「私」の犯罪であるとする文学の言葉を屹立させた。
他、永山則夫金嬉老など、犯罪を論じた評論十七篇を精選。」