サイレント映画の上映時間を調べるのは意外と難しい。資料によって上映時間がまちまちなのである。トーキー映画の場合も、劇場公開版とその後編集されたディレクターズ・カット版などといったように、いくつかヴァージョンが存在することがあるが、それはどちらかというと例外で、上映時間は一つに決まっているのがふつうである。しかし、サイレント映画となると、様々な理由から上映時間が定かでない場合が少なくない。
一つには、トーキー映画とは比べものにならないほど、サイレント映画にはヴァージョンの数が多いということがある。サイレント映画はトーキーとちがって音声がはいっていないので、海外で上映される際には、字幕の部分を変えるだけで、その国にしか存在しない外国語ヴァージョンが簡単に作れてしまうことから、様々なヴァージョンが世界中に出回ることになる。そうしたフィルムが時代を経るうちにコマを欠落させてゆく(その過程でまた様々なヴァージョンが生まれる)。オリジナルのネガが残っていれば、そこから原型を復元することも可能だが、ネガがないとなると、世界中に散らばったフィルムをつなぎ合わせて、できるだけオリジナルに近いものを復元していくしかない。『ナポレオン』を修復した映画研究家ケヴィン・ブラウンロウは、そうやって何年もかけて執念でフィルムの断片を収集していって、やっとオリジナルに近いものを再現したのである(このとき、ちまたでは、コッポラの名前ばかりがクローズ・アップされたが、ケヴィン・ブラウンロウの仕事がなければあの公開はあり得なかった。ちなみに、山田宏一は、ケヴィン・ブラウンロウの著書 The Parade's Gone by をサイレント映画について書かれたもっとも素晴らしい書物と評している)。
サイレント映画の場合、映写するときのスピードの問題もある。いまの映画は1秒24コマが標準だが、サイレント映画の場合は、1秒16コマから18コマでのあいだで上映されていた(いわゆるサイレント・スピード)。サイレント映画の上映会などでは、たまに1秒24コマで上映されることがある。サイレント映画の人物の動きが妙に速く見えることがあるのは、そのせいである(こういったことは、まあ、常識だと思うが、知らない人がいるかもしれないので、一応説明しておいた)。
長編映画まるまる一本だと、どちらのコマ数で上映するかで上映時間が相当ちがってくる。そもそも、一番最初の頃は、撮影のカメラも手回し、映写も手回しだったわけだから、映写するひとのさじ加減で上映時間はいくらでも変わってしまうわけだ。フランスの映画ガイドなどでは、サイレント映画の上映時間は、何時間何分という表示ではなく、フィルムのメートル数で書かれていることが多いのはそのためである。一見不親切にも見えるが、正確を期すためにはこの表示の仕方がいちばんだろう。
といったわけで、サイレント映画の本当の上映時間を見極めるのは結構やっかいである。こんな話をしたのは、グリフィスの『国民の創生』の上映時間を調べていて、わからなくなったからだ。淀川長治監修のシリーズにはいっている『國民の創生』の DVD の上映時間は、152分となっている。しかし、これはこの映画の数あるヴァージョンのなかでは、あまり長いほうではない。アメリカでは、この映画の様々な DVD が発売されているが、その上映時間は、103分、125分、158分、175分、187分、200分などといったぐあいに、バラバラである。そもそもアマゾンのサイトに表記されている上映時間が、特典映像まで含めたものなのかがいまいちはっきりしない。いずれにせよ、日本で出ている DVD は最長版と比べて少なくとも30分以上は短いようだ。ちなみに、IMDB では Birth of a Nation の上映時間は、"Argentina:165 min / 190 min (16 fps) / USA:125 min (video version) / USA:187 min (DVD)" となっていて、見事にバラバラである。
最初からあてにしていなかったが、allcinema online では、『國民の創生』の上映時間は「104分」とだけしか書いていない。相変わらずいい加減なサイトだ。このデータベースは映画のタイトル自体が間違っていることも珍しくなく、何度かメールで訂正を促したこともあるのだが、半年以上たっても訂正された様子がない。こういうデータベースでは、情報量にもまして情報の正確さが重要なはずなのだが、このサイトには、こういうときに素早く対応して情報を逐次修正していくシステムが機能していないようだ。洋画の邦題を調べるときには便利なサイトであるが、有名なサイトだからといって頭から信用しない方がいいだろう。そういえば、最近、Wikipedia の有名な執筆者が、学歴を詐称していたというニュースが話題になった。どこぞの大学院の教授かなにかを自称していたが、実は高卒だったそうだ。