リチャード・ウィルソン『Man with the Gun』(1955)
(この映画は日本でも公開されていて、「街中の拳銃に狙われる男」という邦題がついているみたいなのだが、いくらなんでもセンスがなさ過ぎる。というわけで、あえて原題を使って書くことにする。)
『Man with the Gun』は、オーソン・ウェルズの初期作品に役者やアソシエート・プロデューサーとしてかかわったりしていたリチャード・ウィルソンが、監督として初めて撮った作品である。リチャード・ウィルソンが映画史に名を残すとしたら、この一本の西部劇によってかもしれない。と言ってはみたものの、そんなにすごい作品ではないと急いで付け加えておく。まあ、西部劇の隠れた小傑作とでもいったところだろうか。
カウボーイふうの悪人面をした男(レオ・ゴードン)が馬に乗って町にやってくる。近くにいた少年の手から放れた犬が男の後を追いかけて吼え始める。すると男は拳銃を出して、一瞬もためらうことなく犬を撃ち殺す。それをバッジをつけた保安官のヘンリー・ハルが窓越しになすすべもなく見ている……。
冒頭の数分だけで、観客は状況を飲み込み、作品のトーンを理解し、さらには物語の展開さえある程度予想することができてしまうだろう。これが古典的なアメリカ映画の持っていた語りの有効性というものだ。
案の定、この町に一人のストレンジャー(ロバート・ミッチャム)がやってくる。あちこちの町を渡り歩き、無法者たちを暴力によって一掃するのを仕事にしている悪名高い男だ。映画の中では "town tamer" などと侮蔑的に呼ばれている町の掃除屋のような存在である。"town tamer" という言葉は普通の辞書には載っていないが、まあそんな意味の言葉だろう(ちなみに、ダナ・アンドリュース主演の『Town Tamer』(65) という映画も存在する)。
ミッチャムは冷酷に悪党どもを抹殺してゆき、さらには酒場やキャバレーの営業にまで干渉し始める。町が平和になるのはありがたいが、その結果、街の灯が消えてしまってはたまらない。ミッチャムの存在は町の有力者たちにとって次第に目障りなものとなって行く……。
こうした物語の構図は、ウィルソンが撮ったもう一つの西部劇『ガンファイトへの招待』でもほぼ正確に反復されることになるだろう。そこでは金で雇われた殺し屋ユル・ブリナーが黒いスーツに身を包み、『ウエストワールド』のロボットさながら無表情に敵を殺していくのだが、彼の傍若無人さがやがて雇い主にも目に余るものとなって行くのだ。あるいは『ワーロック』のような西部劇も、同じ物語の変奏の一つと考えることもできるだろう。
敵のボスが最後まで顔を見せないというミステリアスな展開も興味を惹くところだが、この映画の魅力はなんといってもロバート・ミッチャムの存在だ。ここでもミッチャムは、ノンシャランと振る舞っているようでいて、一歩間違えたらダークサイドに落ちていきそうな危うさも見せる(とりわけ、テッド・デ・コルシアにむりやり反撃させて殺し、酒場に火を放つシーン)。つまりは、いつも通りのミッチャムだ。『ガンファイトへの招待』も決して悪い作品ではなかったが、『Man with the Gun』ほどの強い印象を残さないのはひとえにミッチャムとユル・ブリナーの格の違いということになるかもしれない。
西部劇がバザンいうところの「超西部劇」へと進化を遂げ始めていたこの時期、ロバート・ミッチャムのペルソナはこの映画にフィルム・ノワール的な暗さを持ち込んでいるという言い方もできる。ミッチャムが主演した西部劇は意外と多くない。これを彼の西部劇の最高傑作だという人も少なくない(わたしは、ウォルシュの『追跡』がベストだと思うが、思えばあれも西部劇の形を借りたフィルム・ノワールに他ならなかった)。