明るい部屋:映画についての覚書

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ジョン・M・スタール『裏町』――メロドラマの輝き

ジョン・M・スタール『裏町』(Back Street, 32) ★★★


メロドラマとは不思議なものだ。


メロドラマとは一体何なのか。考え始めるとわからなくなる。しかしそれは西部劇であっても、フィルム・ノワールであってもホラーであっても同じだ。どんなジャンルでも突き詰めてゆくととたんにわからなくなるものである。しかしそれでも、自分が西部劇やフィルム・ノワールを好きか嫌いかくらいは答えられる。ただ、メロドラマだけは違う。自分がそれを好きなのか嫌いなのかさえ、いまだにわからないのである。


ジョン・M・スタールのメロドラマ『裏町』を見る前に、たまたま『野玫瑰之戀』(王天林監督)という香港映画を見ていたのだった。日本では、香港映画ファン以外にはほとんど知られていない作品だが、香タイム・アウト誌「香港映画ベスト100」の11位に選出され、香港映画賞協会が選定する「史上最高の中国映画ベスト100ランキング」においても64位に入っている有名な作品である。

この映画の主演女優グレース・チャンは歌手としても有名であり、映画ファン以外のあいだでもよく知られている。ツァイ・ミンリャンが『Hole』のなかで、彼女に対して熱烈なオマージュを捧げていることも、よく知られている事実である。


しかし、わたしはグレース・チャンという女優=歌手にははまらず、『カルメン』に緩やかに基づいたフィルム・ノワール風のメロドラマ*1にも早々に嫌気が差してしまった。自分はやはりメロドラマが好きではないのだ。

そんなことを思ったりもしたのだが、その直後に見たスタールの恋愛メロドラマ『裏町』にはいたく感動し、思わず涙してしまった。そして、やはりメロドラマはわからないと、思い悩んでしまったのだった。結局、これは監督の力量の差にすぎないのだろうか。同じメロドラマでも、凡才が撮れば見るに堪えない作品になり、才能ある監督が撮ればまばゆいばかりの傑作になる。それだけのことなのだろうか。いずれにせよ、メロドラマというジャンルには、他のどのジャンル以上に、映画のエッセンスがむき出しの形で現れるような気がする。


ジョン・M・スタールは、日本では、ダグラス・サークによって2度リメイクされた作品(『心のともしび』『悲しみは空の彼方に*2の監督くらいのイメージしかいまはない(ほとんどまったく知られていないが、マックス・オフュルスの『忘れじの面影』も、実は、スタールの『昨日』のリメイク)。しかし、『哀愁の湖』一本を見るだけでも、この監督がそんなに簡単に忘れ去られてしまっていい存在でないことはわかるだろう。ただ、日本では彼の作品を見る機会がほとんどなく、実を言うと、私もトーキー作品をほんの数本見ているだけにすぎず、スタールのサイレント時代の作品(彼の監督デビューは1914年)に至っては、ただの一本も見ていないのだ。

今回、かれが30年代に撮ったメロドラマ『裏町』を初めて見て、この監督の重要性を改めて確信した。『裏町』に描かれるのは、一言で言うならば、不倫の物語である。原題の "back street" とは、不倫の関係にある恋人たちが、人目を忍んで逢引することを暗に意味している。

20世紀初頭のシンシナティアイリーン・ダン演じるヒロイン、レイ・シュミット*3は、偶然出会った若きビジネスマンの富豪ウォルター(ジョン・ボールズ*4)とたちまち恋に落ちる[一目惚れ]。しかし、実はウォルターには母親に気に入られている婚約者がいて、近々結婚することになっていた。二人は今度公園で行われる演奏会で会うことを約束する。ウォルターは、そこで母親にレイを紹介するつもりだった。母親にさえ気に入ってもらえれば二人は結婚できるはずだ。しかし、当日、レイはやむをえぬ事情で演奏会に遅れてしまい、ウォルターにも母親にも合うことができない[すれ違い]。何年かが過ぎたとき、二人はまたしても偶然出会う[再会]。ウォルターは婚約者と結婚していた。二人はそれでもどうしようもなく惹かれ合い、逢引を続ける。妻を捨てることができず、彼女の孤独も辛さも理解できない男(子供がほしいというレイを彼は激しくなじる)に、レイは一時は愛想を尽かして別れを告げ、愛してもいない別の男と結婚する寸前まで行く[真の愛と偽の愛]。しかし、ウォルターに懇願されて、レイは結局不倫の関係を続けることになる。ウォルターが家族とともに旅行するときも、レイは「影のように」彼らのあとをついて行く。そんな関係が何十年も続いたとき、ウォルターが突然病に倒れる。瀕死のベッドでウォルターは、家族を部屋から追い出し、事情を知っている息子(父親の愛人を憎んでいる)に、レイに電話をさせ、愛していると言い残して死んでゆく。ウォルターの死に呆然とし、一人自宅でうなだれているレイの元を、ウォルターの息子が訪れ、父親が彼女をほんとうに愛していたこと、これからは自分が彼女を援助することを告げて立ち去る。これを嬉しく思ったレイは、満足そうな笑みを浮かべて死んでゆく。

こうやって物語を言葉にしてみると、本当に陳腐な映画にしか思えないのだが、これが映画になるとあんなにも感動的になるのだから不思議だ。最初にいったように、描かれているのは確かに不倫の物語なのであるが、最後まで見ると、実はこれは純愛の映画であったことがわかる。男の妻が夫に愛人がいることを最後まで知らないという設定はずるいといえばずるい。この映画がどろどろした不倫の物語になっていないのは、いささか信じがたいこの設定のおかげだからである。しかし、この映画を純愛メロドラマと考えるならば、そんなことは些細な問題に思えてくる。愛し合う二人の障害になるものが、ここではたまたま相手に妻がいたという些細な事実だったということにすぎない(こんなことを書くと誰かに怒られそうだが)。

ダグラス・サークの映画のような迫力のある画面も鮮やかな色彩もここにはない。バロック的ともいえるサークのスタイルとの避けがたい比較から、この映画は(この映画自体はサークによってリメイクされているわけではないが)見劣りがするように思えるかもしれないが、それは単に見かけに騙されているだけだ。『裏町』の画面の平板さ(コントラストは自然で、クロースアップもほとんどない。もっとも、スタールの映画としては、この映画のカメラは冒頭からよく動く)、演技の素っ気なさ=自然さ(サークの映画の演劇性とくらべて)は、単にこの二人の作家のスタイルの違いを示しているにすぎない。サーク作品との比較からスタールの才能が影に霞んでしまい、なかば忘れ去られてしまっているのは、残念で仕方ない。


『裏町』でとりわけ感動的なのは、突然数十年の時間が過ぎ、ふたりの恋人たちがともに白髪になっている映画の終わり近くの部分だ。同じ俳優が、メーキャップで老人を演じるのは、時として滑稽に思える場合があるのだが、その一方で、それはしばしばとても感動的な場面にもなる。『裏町』のラストはまさにその成功例であり、スタールの決して目立たない演出と俳優の抑えた演技が、ここでも功を奏している。とりわけ、ウォルターの死を知らされたあと、質素なアパートの一室で一人思いにふけるアイリーン・ダンは素晴らしい。ここでは、もしもあの演奏会の約束に間に合っていたらという、あり得たかもしれない過去をレイが回想するという、なんともユニークな場面が設けられているのも注目だ。もしかすると、白髪のアイリーン・ダン演じるレイは、ドライヤーの『ゲアトルード』のヒロインと同じセリフをいうこともできたかもしれない。

「私は若かったか。いいえ、でも愛した。私は美しかったか。いいえ、でも愛した。私は生きたか、いいえ、でも愛した」


ファニー・ハーストの原作は3度映画化されていて、スタール版はその最初の作品である。この映画はいわゆるプレ・コード時代に映画化された。38年にこの映画のリバイバルが企画されたとき、ブリーン・オフィスはこの映画が不道徳だとして、公開を禁じた。ユニヴァーサルは代わりにシャルル・ボワイエマーガレット・サラヴァン主演、ロバート・スティーヴンソン監督で再映画化した。61年には、デイヴィッド・ミラースーザン・ヘイワードジョン・ギャヴィン主演で再び映画化している。41年版は日本でも DVD が出ているし、61年版も比較的入手が簡単なのだが、この32年版だけは、わりと最近修復されたにも関わらず、わたしの知る限りスペイン版しか DVD が出ていないし、現在は入手するのがなかなか難しい。下写真はそのスペイン版のはずなのだが、コメントはすべて61年版について書かれている。これはたぶんアマゾンのシステムのせいだろう(タイトルが同じなどの類似製品のページに関係のないコメントが付くことがよくある)。まあ、あたりまえだが、買う人は自分で確かめて、自己責任でお願いします。


*1:グレース・チャンが最初と最後に歌う唄は、ビゼーの『カルメン』の広東語(?)バージョンである。

*2:サークによるスタールのリメイクとしてはこの2本が有名だが、実は、『間奏曲』もスタールの『When Tomorrow Comes』のリメイクである。もっとも、サークはいずれの場合もスタークの作品をそれまで見たことがなかったと主張している。その真偽はともかく、これらはリメイクというよりも、同じ原作の映画化といったほうが正確なのだろう。ちなみに、『裏町』の原作を書いたファニー・ハーストは、『模倣の人生』とそのリメイク『悲しみは空の彼方に』の原作者でもある。

*3:映画の中では特に説明はなかったと思うが、彼女はおそらくドイツ系移民の子供である。オハイオ州はドイツ系の移民が多く(今日でも30%近くいる)、とりわけシンシナティはそうだった。この映画には、この街のドイツ系移民のコミュニティがさり気なく描かれている(冒頭のビアガーデンの場面など)。

*4:ボールズは、この時期、スタールの映画に立て続けに主演している。