この前ふれたアガサ・クリスティの短編集 "The Witness for the Prosecution" は意外なほど面白かった。ひょっとしたらこの人は短編のほうが面白いのかもしれない。それにしてもアガサ・クリスティなんて読むのは何年ぶりだろうか。ミステリー・マニアというわけでもないが、エラリー・クイーンやクロフツなどなどの古典作家のものは中学生時分に一通りは読んでいる。しかし、それ以後は、脇道、傍系、変わり種ばかり読んでいるので、この辺のものはほとんど読んでいない。その頃読んだ『アクロイド殺人事件』や『オリエント急行殺人事件』の印象から、クリスティというミステリー作家は、意外な犯人を最初に考えるところから始めて、物語を強引に組み立てていく人というイメージしかなかった。短編はたぶんそういうあざとさがむき出しになったものになってるんじゃないかと思っていたのだが、いい意味で長編とは全然違うものになっていた。
作品のなかに "premonition"(予感)という言葉がときおり出てくる。クリスティの代表的長編とは違って、ここにはポワロもミス・マープルも出てこず、殺人事件、名探偵による犯罪捜査、意外な結末といった典型的な推理小説の形をとっている作品もほとんどない。ビリー・ワイルダーの『情婦』の原作となった表題作のように、物語が始まったときにはすでに事件は起こってしまっているという作品もあるが、わたしが特に気に入ったのは、むしろ、事件が起こる以前の、なにかが起こりそうな予兆にみちた時間をサスペンスフルに描いた「The Red Signal」のような短編、あるいは事件が本当に起きているのかそれとも幻に過ぎないのかが判然とせず、その曖昧さがサスペンスを優れて持続させている「S.O.S」や「The Mystery of the Blue Jar」のような作品だ。しかし、結局は、予定調和な結末が待っているところは、これがクリスティの限界というしかないのだろう。もっとも、ミステリー・ファンはこういう結末をこそ期待しているのかもしれない。わたしとしては、読み終わっても不気味さと不安が残る作品、たとえばパトリシア・ハイスミスの『変身の恐怖』のような小説のほうがずっと好きなのだが、クリスティもなかなかがんばっていると認めてやってもいい。
原書の英語は癖もなく読みやすいので、手軽に読めるペーパーバックを探している人にはお勧めだ。下の写真は、わたしがもっている版とは違うものだが、なかに収められている短編はまったく同じようである。