『アンナと過ごした4日間』を見に行ったついでに、京都駅前のビルにあるジュンク堂にデ・フォレの『おしゃべり、子供部屋』を買いに行く。このあたりではいちばん大きな本屋なのだが、置いていない。まあ、こんなものか。さすがに平積みはしてないだろうと思ったが、ちょっとがっかり。そのかわり、小島信夫の『美濃』が文庫になってるのを見つける。見ると、今月出たばかりのようだ。講談社文芸文庫、1700円。相変わらず高い。600円を超えたら、それはもはや文庫ではない、とわたしは思う。が、ここでしか買えないのだから仕方ない。迷わず購入。
帰りの電車の中でさっそく読みはじめる。語り手の作家の評伝を、彼の郷里の知人作家が書く。のっけから「彼」と「私」という人称が、まるで交換可能なものであるかのように、曖昧に揺らいでいる。この小説、最初からなんだかきな臭いぜ。
ところで、イエジー・スコリモフスキの『アンナと過ごした4日間』は、すごい傑作だった。マスコミで報道されたら「ストーカー」ということで簡単に片付けられてしまうに違いない、そんな中年男の起こした事件の内実が描かれるのだが、ひょっとしたら『早春』の若者が中年になったらこんなだったかもしれない、と、そんなことを考えながら見てしまった。『早春』(もちろん、小津じゃなくて、スコリモフスキのほうです)をテレビでたまたま見たのは、まだ大学に入る前のころだったはずだ。しかし、その一度見ただけの印象は強烈で、今でも幻のように覚えている。主人公の青年が、レストランのウエイトレス(だったと思うのだが)に恋をし、店の前に飾ってあった彼女の等身大パネルを盗み出す。そして、プールの飛び込み台の上からそのパネルを投げ込み、水に浮かんだそのパネルに向かってダイブするのだが、その瞬間、あるはずのない彼女の髪の毛が水中にふわっと広がるのだ。忘れがたいシーンだ。
(そういえば、ジェレミー・アイアンズさえ、『Moonlighting』では、ポーランドを遠く離れた異国のアメリカで、服飾店の店員を口説こうとして、あっさり振られていた。スコリモフスキーの映画にはあまりモテる男は出てこない。)
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いずれ、紀伊国屋から『アンナと過ごした4日間』の DVD が出ると思うが、そのときぜひ、この『早春』と、あと『フェルディドルケ』もついでにソフト化してほしい(劇場で公開されるのがベストだが、そこまでは期待しないので)。