明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

リチャード・フライシャー『静かについて来い』

リチャード・フライシャー『静かについて来い』★★


フライシャー初期の犯罪映画。フィルム・ノワールとして語られることもある作品だが、実際は、刑事映画といったほうが内容に近い。フライシャーとしてはマイナーな部類に入る作品で、正味一時間にも満たない小品である。出ている俳優も地味だし、傑作とは言い難いが、興味深い点は少なくない。

ひとつは、この作品の原案がアンソニー・マンによるものだということだ。アンソニー・マンの研究書のなかには、この映画に一章をさいて、マンの原案と完成した映画との相違を詳細に分析したものもある。一部の場面はマンによって監督されたと言う研究者もいるぐらいだが、実際にそういう証言があるわけではなく、フライシャーの自伝でもこの作品のことはまったくふれられていない。ガス工場の落ちれば即死という高い階段の上で主人公の刑事と犯人が取っ組み合うクライマックスのシーンなど、斜面好きのマンが撮ったのではないかとつい考えたくなるし、そう主張する研究者もいるようだ。しかしこのときマンは『恐怖時代』の撮影で忙しく、RKOの資料にもこのシーンの監督はフライシャーが行ったとの記録がある。

もう一つ興味深いのは、この映画に出てくるダミー人形だ。土砂降りの雨の日だけ殺人を繰り返す〈ザ・ジャッジ〉と名乗るシリアル・キラーは、犯行を行うたびにいくつもの手がかりを残してきた。背格好や着ている服など、多くのことがわかっているが、ただその顔だけがわからない(フランスでの公開タイトルは「顔のない殺人者」だった)。主人公の刑事は今までの手がかりをもとにして犯人そっくりのダミー人形を作る。犯人と同じ背格好、同じ服、同じ帽子。ただ、その顔だけはのっぺらぼうの人形である。その人形や、それを写真に撮ったものを、聞き込み捜査などで使おうというわけだ。しかし、その後も犯行は繰り返され、刑事はいらだちを募らせてゆく。あるとき、刑事は、誰もいない警察の薄暗い部屋のなかで、窓際で背中を向けて座っているダミー人形に向かって、そんないらだちをぶちまける。そこに同僚の刑事が現れて2人は部屋を出て行き、部屋のなかにはダミー人形だけが残される。すると、暗闇のなかでこちらに背を向けて座っていたダミー人形が突然立ち上がり動き出す。それは人形ではなく殺人鬼だったのだ。驚くべきシーンである。ちなみに、このシーンはマンの原案にはなかったという。


ほかにも、殺人鬼の顔が初めて観客に見えると同時に、犯人が警察の罠に気づく瞬間とか、銃撃で穴が空いた水道管から噴き出した水を雨と勘違いして、犯人が正気を失って暴れ出すところとか、印象に残る場面はいろいろある。地味な作品ではあるが、見逃すのは惜しいなかなかの佳作だ。