明るい部屋:映画についての覚書

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ロバート・シオドマク『ハリー叔父さんの悪夢』

ロバート・シオドマク『ハリー叔父さんの悪夢』

(The Strange Affair of Uncle Harry, 1945) ★★½



ヒッチコックの『疑惑の影』のようなスモールタウンを舞台にした犯罪ものと一応は言うことができるだろう。しばしばフィルム・ノワールにも分類される作品である。しかし、シオドマクがこの前後に撮った『幻の女』 (44)、『らせん階段』 (45)、『暗い鏡』 (46)、『殺人者』 (46) などと並べて見るならこの作品はいささか異質であり、見るものは肩透かしを食らったような気になるかもしれない。

名だたる名家でありながら、大恐慌のあおりをくって財産を失い、今では立派な屋敷だけが残っているクエンシー家には、ジョージ・サンダース演じる長男ハリーとかれの二人の姉妹の3人だけが住んでいる。姉のヘスターは未亡人で、家事に忙しく、美貌の妹レッティはただただ無為な生活を送っているらしい。この二人を養うために、ハリーは服飾工場で衣服の型を作るという家柄に似合わない地味な仕事をしている。

サンダースは、いつものシニカルで、勘の鋭いキャラクターとはまったく対照的な、善良で、いささか鈍いといってもいいほどの平々凡々たる人物ハリーを、やはり見事に演じているのだが、そんな地味な彼と、ニューヨークの都会からやってきた女デザイナー(デボラ)が、嘘のようにあっという間に恋に落ちたときから、物語は大きく動き始める。二人はすぐに結婚することを決めるのだが、そのためにはハリーの姉妹は住み慣れた屋敷を出ていかなければならず、姉妹は新しい家を探し始める。しかし、姉の方はハリーの結婚を心から喜んでいる一方で、妹レッティは言葉とは裏腹に彼の結婚を快く思っておらず、何かと難癖をつけて新居探しを半年以上引き伸ばし、ハリーの結婚をサボタージュしようとする。結局、この妹の奸計によって、ハリーはデボラと破局し、やがて彼女は他の男と結婚したことを知る。この映画が本当に面白くなるのはこのあたりからだ。

(デボラを演じているのはエラ・レインズ。『幻の女』『容疑者』(ともに 44 年作品)に続いてのシオドマク品への出演であり、とりわけ彼女がいくつものキャラクターを演じ分ける『幻の女』での演技が忘れがたい。)


レッティがハリーの結婚を阻止しようとする理由は、彼に対する近親相姦的な愛であることが徐々に明らかになってゆく(その禁断の愛は決して彼女の口から表明されることはないのだが、それは彼女の表情や行動によって誰の眼にも明らかである)。時代を考えると、この近親相姦的な愛のほのめかしは 非常に稀なるものであったと言っていいだろう。だが、不思議なことにこの部分は当時の検閲にはまったく引っかからなかったらしい。実は、この映画は、検閲によってラストが変えられてしまったことで有名なのだが、それはこの近親相姦的な愛とはまったく関係のない理由からだった(それについては後で説明する)。

たしかに、近親相姦がこの映画を当時としては例外的な作品にしていることは確かである。原作の戯曲ではたんに「ハリーおじさん」*1というタイトルだったものを、「ハリーおじさんの奇妙な事件」というタイトルに変えたのは、そうした倒錯的な部分を暗示するためであろうし、公開時にこの映画の宣伝に使われた惹句を見ても、製作者側がそこを売りにしようとしていたことは明らかだろう。しかし、この映画をこの点ばかりに注目して見るのは的はずれかもしれない。サスペンス映画として見たときは、たぶんなおさらがっかりするだろう。

妹のサンダースに対する禁断の愛が言葉によってあからさまには表明されないのと同様に、サンダースがその愛に気づいていたかどうかも、この映画は明確には描いていない。とにもかくにも、妹の彼に対する執着が顕になってゆく一方で、サンダースは彼女に対する殺意をつのらせてゆく。しかしながら、シオドマクは彼が妹を毒殺しようとする場面においてさえ、サスペンスを盛り上げることにさほど気を使っているようには思えない。最初に言ったように、この映画を『らせん階段』や『暗い鏡』のような作品を期待してみたなら、いささか失望することだろう。

それよりもこの映画は、自由を奪われた一人の男をめぐる物語と思ったほうがいいかもしれない。まるで牢獄のような館の中に閉じ込められた女の物語なら、われわれはいくらでも知っている。『レベッカ』、『眠りの館』、『魅せられて』……。しかし、この映画で囚われの身になっているのは女ではなく、男の方なのである(この点においてこそ、この映画は例外的なフィルム・ノワールであると言っていい)。都会からやってくる女は彼を破滅させるファム・ファタールというよりは、彼を救い出そうとする救いの手なのだが、彼はその手を掴み損なう。自由になるために彼が考えついた唯一の手段が、毒薬による殺しだった。


(この映画は、最後に、「誰にもこの映画の結末を話さないでください」という字幕が出て、観客にネタバラシを注意するほど、あっと驚く終わり方をする。これは作者が意図した結末ではなく、検閲によって強いられた結末なので、話したところでこの作品の価値が失われるというものではいささかもないのだが、念のために、これから先の部分はネタバレを含むということを一応警告しておく。)


ハリーは妹レッティを毒殺しようと試みるが、手違いで、レッティではなく姉のヘスターのほうが死んでしまう。しかし犯人として逮捕されたのはレッティの方だった。やがてレッティに死刑の判決が下るに至って、ハリーは悔恨の念から自分の罪を告白した手紙を判事に見せるのだが、妹を助けるために罪をかぶろうとしているだけだ思われ、まともに取り合ってもらえない。結局、レッティは死刑になる。ところがである、ハリーが屋敷でひとり悔恨の念にかられて打ちひしがれていると、扉が開き、彼と別れて違う相手と結婚したはずのデボラが入ってくる。彼女は直前になって結婚を思いとどまったというのだ。これに驚いていると、同じドアから死んだはずのヘスターまでが登場する。つまりは、すべてが夢=想像だったというわけだ。荒唐無稽な結末であるが、これは「犯罪を犯したものが決して逃げおおせてはならない」という、ヘイズ・コードを逃れるための苦肉の策だった。フリッツ・ラングの『飾窓の女』や、未見だがアーサー・リプレイの『The Chase』(46) もこのような夢オチの結末になっているという。少なくともこの頃は検閲を免れるためにこの手が通用していたことが伺える。しかし、このデウス・エクス・マキナ的な荒唐無稽なエンディングは、穿った見方をするならば、バカバカしい検閲をあざ笑うためにあえてわざとらしく作られているように見えなくもない*2

プロデューサーのジョーン・ハリソンはこの強いられた結末に激怒してユニヴァーサルを退社したとも聞く。ちなみにハリソンは、イギリス時代からのヒッチコックの脚本家で、彼と共にハリウッドに渡ったあとも『レベッカ』や『海外特派員』など数々のヒッチ作品に脚本を提供し、その後、シオドマクの『幻の女』でプロデューサーとしての活動を始めた女性である。当時は、ヴァージニア・ヴァン・アップとハリエット・パーソンズと並んで、ハリウッドで3人しかいない女性プロデューサーのひとりだった。ちなみに、以前紹介したロバート・モンゴメリーフィルム・ノワール作品『桃色の馬に乗れ』も彼女がプロデュースした作品である。


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*1:なぜ彼が「ハリーおじさん」という愛称で呼ばれているのかは定かでない。

*2:ネタバレと言ったが、日本での DVD タイトルは「ハリー叔父さんの悪夢」となっていて、タイトルでほぼネタをばらしている。