『モアナ 南海の歓喜 サウンド版』(Moana, ロバート・フラハティ, 1926) ★★★
『極北のナヌーク』でフラハティは、当時すでに銃を用いていたイヌイットに、あえて銛を使って狩りをさせた。ドキュメンタリー映画の歴史はこの〈嘘〉とともに始まる。『アラン』の島民たちは、自分たちの先祖がどうやってサメを獲っていたのかを知らなかった。彼らは映画を撮るにあたって初めて教えてもらったそのやり方で、カメラの前でサメを獲ってみせたのである。『モアナ』のクライマックスに描かれる入れ墨の儀式も、この島ではとっくに行われなくなっていたものだったという。フラハティのこのような手法は、真実を描くはずのドキュメンタリーにおいては〈ヤラセ〉と言われても仕方がないものだろう。しかし、ジャン・ルーシュ(彼はジガ・ヴェルトフとフラハティという対極にあると言っていい2人のドキュメンタリー作家を自分の師であると認めていた)が繰り返し強調したように、シネマ・ヴェリテが〈真実の映画〉ではなく、あくまでも〈映画の真実〉であるとするならば、フラハティのドキュメンタリーもまた、シネマ・ヴェリテであったのだ。
『極北のナヌーク』の極寒の世界とも、やはり島の暮らしを描いた『アラン』の厳しい自然とも異なる、タブーなきまったき楽園*1を描いた『モアナ』は、フラハティ作品の中で最も幸福な瞬間に満ちた映画であると言っていいだろう。