明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『モアナ 南海の歓喜 サウンド版』

『モアナ 南海の歓喜 サウンド版』(Moana, ロバート・フラハティ, 1926) ★★★

『極北のナヌーク』でフラハティは、当時すでに銃を用いていたイヌイットに、あえて銛を使って狩りをさせた。ドキュメンタリー映画の歴史はこの〈嘘〉とともに始まる。『アラン』の島民たちは、自分たちの先祖がどうやってサメを獲っていたのかを知らなかった。彼らは映画を撮るにあたって初めて教えてもらったそのやり方で、カメラの前でサメを獲ってみせたのである。『モアナ』のクライマックスに描かれる入れ墨の儀式も、この島ではとっくに行われなくなっていたものだったという。フラハティのこのような手法は、真実を描くはずのドキュメンタリーにおいては〈ヤラセ〉と言われても仕方がないものだろう。しかし、ジャン・ルーシュ(彼はジガ・ヴェルトフとフラハティという対極にあると言っていい2人のドキュメンタリー作家を自分の師であると認めていた)が繰り返し強調したように、シネマ・ヴェリテが〈真実の映画〉ではなく、あくまでも〈映画の真実〉であるとするならば、フラハティのドキュメンタリーもまた、シネマ・ヴェリテであったのだ。

『極北のナヌーク』の極寒の世界とも、やはり島の暮らしを描いた『アラン』の厳しい自然とも異なる、タブーなきまったき楽園*1を描いた『モアナ』は、フラハティ作品の中で最も幸福な瞬間に満ちた映画であると言っていいだろう。

*1:フラハティがムルナウと共同監督した『タブウ』は、「楽園」「失楽園」という2つのパートに截然と分けられていた。