京都市立博物館にて。最も有名な日本のサイレント映画。実は、今回見るのが初めて。たしかに、瞬間瞬間すごいイメージがあるのだけれど、全体的に見るとどちらも結構退屈な映画だった。ま、結局、お話はどちらも古くさい新派のそれなのだ。
両作品とも、雨のシーンがすばらしい。『十字路』では、映画のクライマックス、姉と弟が落ち延びた小屋で激しく雨が降り始める。やがて雨はやみ、弟は吉原の女への思い立ちがたく、姉をひとり残してまた女の元へと向かい(吉原の場面では、くるくると回転する大きな提灯(?)のイメージが印象的)、そこで息絶えるのだが、絶命する瞬間、幻のように雪が舞う。暗い路地をひとりの男が転げるように駆けてくる冒頭のシーンからしてどきりとさせられる。舞台となる家の、姉弟のすむ2階へとつづく階段(日本の家屋とは思えない抽象化された演劇的空間)を上ってくる男を俯瞰でとらえた後退移動撮影など、トリッキーなイメージが印象的。
『狂った一頁』の冒頭、激しい雷雨の夜、きらめく稲妻(切り抜いた紙(?)を使ったトリック撮影)、氾濫する河、精神病院で踊り狂う女狂人、病院の窓越しに不気味に揺れる大木の影などが、フランスのアバンギャルド映画のようなめまぐるしいモンタージュでカッティングされる。精神病院のなかの場面では、一転してドイツ表現主義風のキアロスクーロ。上映されたものには字幕は一切なかった(衣笠が自ら音楽を入れた75年のサウンド版)。もともとなかったのだろうか。あらかじめストーリーを確認してから見たのだが、特に後半、よくわからないイメージが展開する。知らずに見れば、誰が誰かさえわからないだろう。
『十字路』のフィルムは、ロンドンのナショナル・フィルム・アーカイブに保存されていた英語字幕版だった(原版は下加茂撮影所の火災で紛失)。