イギリスの映画作家ビル・ダグラスは、自伝的な三部作(三部作と言っても、いちばん短いもので48分、全部合わせても3時間にも満たないのだが)と、19世紀イギリスの農場労働者たちを描いた『Comrades』の、わずか4本の長編だけを残して、1991年に亡くなった。生前、決して注目されていなかったわけではないが、商業的な作品からほど遠い作風から、なかなか理解者をえられず、製作資金を得るのにも苦しみ、才能を十全に発揮することなくその生涯を終えることとなる。
最近になって、この孤高の映画作家がにわかに注目されはじめたのには、BFI による三部作(Trilogie)のデジタル修復版が公開されたことが大きく与っているだろう。同時に、BFI からは DVD、Blu-ray も発売され、わたしが彼の作品を見ることができたのも、そのおかげである。
少年時代を描いた映画はこれまでに無数に撮られてきた。しかし、そのなかで本当の意味で映画史に残る作品はそんなに多くはない。ロッセリーニの『ドイツ零年』、トリュフォーの『大人は判ってくれない』、ピアラの『裸の幼年時代』……。その数は、せいぜい片手で数えるぐらいしかないだろう。残酷な少年時代を、サイレント映画を思わせる厳格なモノクロ映像で描いたダグラスの三部作は、まだこれらの作品と並ぶだけの地位を得てはいない。しかし、この映画が、それらの作品の流れにつらなる非常にユニークな作品であることはたしかである。
ビル・ダグラスの三部作『My Childhood』『My Ain Folk』『My Way Home』にはすべて「My」という言葉が入っている。彼の分身とでも言うべき主人公ジェイミーの少年時代から青年時代までを描いたこの一連の作品は、ダグラスが生きてきた人生をほぼ忠実に再現したものと見ていいだろう。ここに描かれる彼の少年時代は、これ以上ないと言っていいぐらい悲惨なものである。自分の過去に取り憑かれていたと自ら語るダグラスにとって、この三部作を撮ることは悪魔払いにも似たものだったのかもしれない。
三部作の第一部、『My Childhood』の舞台となるのは、第二次大戦末期のスコットランド、エディンバラ近郊の小さく貧しい炭鉱町である。はるか遠くで聞こえる爆撃音らしき音と、ときおり鳴り響く空襲警報のサイレン音をのぞくと、あとは、強制労働をさせられているドイツ人捕虜の存在ぐらいしか、戦争を感じさせるものはほとんどない。その捕虜たちも、冒頭の字幕の説明がなければ、ただの季節労働者たちにしか見えないだろう。
『My Childhood』に描かれるのは、一言でいって、家族の残骸のようなものである。主人公の少年ジェイミー(=ダグラス)は、兄と祖母の三人だけで、食べるものにも事欠くような生活を送っている。ジェイミーは、今になってようやく、自分と兄が父親の違う異母兄弟であり、彼の実父が、通りをはさんだすぐ近所の家に、まるで他人のような顔をして今まで住んでいた男であったことを知る。しかし、それでなにかがすぐに変わるわけではない。父親は、父親らしい振る舞いを見せることもなく、あいかわらずほとんど他人のように振る舞い続けるだろう。
一方、死んだと思っていた母親は、実は、何が原因かわからないが気が狂ってしまい、精神病院に入れられてることも、ジェイミーは知ることになる。この母親が登場するのは、ジェイミーの祖母が彼を病院に連れて行く短いシーンのただ一度だけで、三部作を通して、母親は以後一切登場しないのだが、その唯一の対面の場面でさえ、彼女はジェイミーのことを認識できない。
いささか説明的にジェイミー=ダグラスの少年時代の人間関係を書き連ねたが、この映画には、この手の作品にありがちな説明的ナレーションは一切なく、セリフも実に少ない。シーンとシーンのあいだにはときおり大きな断絶があり、ぶつぶつと進んでいく省略的スタイルで描かれているので、今書いたような関係を把握するのにもちょっと骨が折れるぐらいである。
父親も母親も事実上存在せず、友達もいないジェイミーは、ドイツ人捕虜の男と唯一心を通わせていて、お互いに言葉を教えあったりしていたのだが、そのドイツ人も、たぶん戦争が終わったから国に送還されるのだろう、そそくさと別れを告げてどこかに去ってゆく。さらには、兄弟をひとりで育ててきた祖母もやがて亡くなってしまう。家を飛び出したジェイミーは、線路の上の陸橋から飛び降りる。一瞬自殺かと思わせるが、実は、ジェイミーは、下を走る貨物列車の貨車に積まれた土の上に落ちただけで、そのまま列車で彼がどこかに運ばれていくところで、第一部は唐突に終わる。
第二部『My Ain Folk』では、祖母が亡くなり、ジェイミーは兄と引き離されて、実父が彼の母親(ジェイミーの父方の祖母に当たる)と一緒に住んでいる家に引き取られることになるのだが、この祖母はジェイミーにこれでもかというぐらい冷たくあたり、食事もまともに与えられない。実父も、ただ彼がそこに住むことを仕方なく許しているだけである。この父親は、いわば弱気な女たらしとでも言うべき男で、人生の敗残者として惨めに生き続けながら、一方で、隣家の女と関係を結び続けている(おそらく、ジェイミーの母親との関係もそうだったように)。
ジェイミーは隙を見て牛乳を盗み飲んだりしながらなんとか食いつなぐ。そして、安らぎを求めて、『My Childhood』で兄と祖母と一緒に暮らしていた実家にときおり帰るのだが、兄はもうそこにはいず、家具も運び出されてしまっている。しかし、やがて実家の扉には鍵がかけられてしまい、そこにも戻れなくなってしまう。
『My Childhood』は、すでに家族とも言えないような家族の姿を描いていたのだが、少なくとも、ジェイミー少年には帰って行く「家=ホーム」だけはあった。それが、この第二部『My Ain Folk』では、その居場所さえもがことごとく奪われてしまう。
ジェイミーが実父の母親にいびり回されるのを見ながら、まるでディケンズの小説みたいだなと思っていると、それまで散々冷たい仕打ちをしていた彼女が、ジェイミーにプレゼントだと言ってディケンズの『デイヴィッド・コッパーフィールド』を手渡すシーンが出てくるのでビックリする。情が移ったのか、それとも単に年老いて惚けてしまっただけなのか。ともかく、ジェイミーはその本に夢中になるのだが、せっかく本に書いた献辞を消してしまったと彼女に難癖をつけられて、ジェイミーはそのディケンズの本を結局ビリビリにひき裂いてしまう。
このシーンに特別な意味があるのかどうかわからないが、ともかく、この映画のタッチがディケンズとはほど遠いものだということは言っておかなければならない。『My Childhood』と『My Ain Folk』に描かれる少年時代はこの上なく悲惨なものである。しかし、映画はそれをことさら強調してみせる悲惨主義とは対極のスタイルで描かれている。ジェイミーは、三部作を通じてほとんど一度も涙を見せない。ただときおり、感情の爆発にまかせて壁に頭を打ち付けたりする身体表現を通して、沈黙の叫び声を上げるだけだ。
キャメラはいつも距離を置いた位置から、事態を遠巻きに見ているだけである。そしてその眼差しは、観察の眼差しというよりは、記憶の眼差しに近い。シーン同士のつながりはときに論理を欠いていて、詩的で、シュールでさえある。DVD についている特典映像で、三部作のためにダグラスが書いたシナリオを見たのだが、それはとても奇妙なものだった。わずか数枚の紙に、シーンを説明する2行ほどのテクストが、空白の行をはさんでただずらずらと並んでいるだけで、セリフも全く書かれていないのである。それはシナリオというよりは、頭の中にある記憶の断片を箇条書きにしていったもののように思えた。
三部作の最後を飾る第三部には、『My Way Home』というタイトルがつけられている。孤児院のようなところに入れられることになったジェイミーは、そこでも友達もいない孤独な生活を送るのだが、ただひとり、そこの院長だけとはかすかに心を通わせる。やがて、父親が今になってかれを引き取りに来るのだが、今や隣家の女と堂々と暮らしている実父との生活は、ジェイミーにとって何の安らぎも与えてくれない。かれは隣に住む祖母のところに逃げるようにして転がり込む。かつてあれほど彼に冷たかった祖母は、ほとんど生きる屍のようになっており、ときおりジェイミーを思いやるような言葉をかけさえする。
この頃から、芸術家を漠然とめざしはじめたジェイミーは、この家での生活を見限って、孤児院に戻る。しかし、すぐにそこを出て、広い部屋に無数のベッドが並べられているだけの宿泊所を渡り歩いたりして、やがて故郷に帰ってくるのだが、実父の家にも、かれが女のところに入り浸っていた隣の家にも、いまや知らない人間が住んでいる。もはや、あの居心地の悪かった実父の家さえも、帰る場所ではなくなってしまったのである。
すると突然、何の前触れもなく、映画は砂漠の風景を延々と映し出し始める。すでに何年もの年月が流れ、ジェイミーは、今、エジプトの砂漠地帯で兵役に就いているのである。しかし、かれは特に訓練をするでもなく、なにかの任務を遂行するわけでもない。ただ無為の時間だけが過ぎてゆく。第一部、第二部の『大人は判ってくれない』(あるいは、モーリス・ピアラの『裸の幼年時代』)の世界から、いきなり『タタール人の砂漠』の世界に連れて行かれたかのような、そんな変貌ぶりに戸惑わされると同時に、ジェイミー(というよりも、三部作を通じてかれを演じている素人俳優スティーヴン・アーチバルド)の変わりようにも驚かされる。
先の二作では決して笑顔を見せることのなかったジェイミーは、このエジプトの砂漠で、初めて真の友と言える存在にめぐり会い、時に屈託のない笑顔さえ見せるようになる。何もない砂漠の風景は、スコットランドの荒涼とした田園地帯の風景と通じ合っている一方で、ジェイミーにとってなにかが始まるゼロ地点でもあったといっていい。漠然と芸術家をめざしていた少年は、ついに、「映画監督」という言葉を初めて口にするようになる。ジェイミー=ダグラスにとって映画がつねに重要な存在であったことは、それ以前にさりげなく、しかし印象深いかたちで描かれていたのだった。
全編モノクロで撮られたこの三部作の中で、第二部の冒頭、ジェイミーが兄と一緒に映画館で子供向け動物映画『Lassie Come Home』(この映画はいみじくも『家路』という邦題を持つ)を見るシーンだけが、実に鮮やかなカラー映像で撮られているのを見れば、ジェイミー=ダグラスにとって、映画がどれほど大きな存在だったのかは明らかだろう。
やがて、エジプトでの任務も終わりが近づき、先に国に帰ることになったジェイミーの友人、おそらく生涯にわたって親友となるであろう友人が、かれに、もし国に帰って住むところがなかったら僕の家に来いよと声をかける。「My Way Home」のホームとは、直接的には、このことを指しているのだろう。しかし、この「ホーム」は、同時に、映画のことを指しているのにも違いない。帰るべき家を失ってしまったダグラスが、ついに見付けた家、それが映画だったのである。
『My Way Home』のラスト、キャメラは、ジェイミーが最初に祖母と兄と一緒に住んでいた家、今や家具も何もないもぬけの殻となった家の中の、漆喰の剥がれ掛かった壁をなめるように映し出してゆく。それはもう「ホーム」とはとうてい呼ぶことのできない家の残骸だ。しかし、映画はそこで終わらない。荒涼たる風景ばかりを撮りつづけてきた三部作は、一面に花を咲かせた一本の木を映し出して終わるのである。
ひょっとしたら、ビル・ダグラスは、自分の過去を自伝的三部作として撮り上げることで力尽きてしまったのだろうか。そのあと、長いブランクを置いて、最後の長編『Comrades』を撮ったあとで、ダグラスは癌のために57歳でその短い生涯を終えることになる。『Comrades』を見ていないので、そのあたりのことについてわたしには語る資格はない。しかし、たとえ、彼が自分の過去を描くことしかできなかったのだとしても、それでこの三部作の価値が減じることはいささかもないだろう。