いまフランスがたいへんなことになっている。日本のメディアでもようやく伝えられはじめたが、10日ほど前からフランスでとんでもない暴動騒ぎが起きている。
パリ郊外のクリシー(ヘンリー・ミラーに『クリシーの静かな日々』という小説がある。シャブロルが映画化)で、警官に職務質問された移民系の若者が逃げ込んだ先の変電所で感電死した事件に端を発した暴動が、フランス全土に拡大し、いまだに事態が収束する兆しが見えていないのだ。政府は強硬な姿勢を見せ、逮捕者も多数出ているが、ほとんど効果を上げていない。この10日あまりのあいだに車だけでも数千台が放火され、保育園までもが放火されるなどして、すでに死人も出ている。サルコジ内相が暴動を起こした若者たちを「ごろつきたち」と呼んだことが、さらに彼らを刺激している(わたしはこのサルコジという奴がむかしからどうも好きになれない。野心家で、エリート主義者で、見え見えのパフォーマンスを恥ずかしげもなくおこなう典型的な「政治家」だ)。
暴動の背景にはフランスの移民政策の失敗があることは間違いない。郊外の「低家賃住宅」HLM(というと聞こえがいいが、用は貧乏人用のスラム)に彼らを押し込んでやっかい払いしてきたつけがいまになって回ってきたというわけだ。この問題はいまにはじまったわけではない。甘い恋愛映画ばかりを見ている人は知らないだろうが、フランス映画をちゃんと見ている人は、大むかしからこういう問題が存在していたことを知っているはずだ。
あまり大した映画ではないがマチュー・カソヴィッツの『憎しみ』がこの問題を正面から描いていたことが、最近では記憶に新しい。パリ郊外の貧民の町で少年が警察から暴行を受けたことがきっかけで大暴動が起きるまでを、フレンチ・ラップに乗せて描いた作品だ。以前見たときは多少大げさに思えたが、いま見直すと予言的にさえ思えてくる。ジャン=クロード・ブリソーの『かごの中の子供たち』も郊外の暴力を描いた映画だった。