明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

足立正生『略称・連続射殺魔』など

足立正生『略称 連続射殺魔』★★★

1968年に起きた19才の少年永山則夫による連続射殺事件に衝撃を受けた足立正生が、松田政男佐々木守らとともに、事件の直後に撮り上げたドキュメンタリー。とはいえ、ここには永山則夫を知るものを取材したインタビューもなければ、永山本人の映像すらない。それどころか、「永山」という名前さえ一度も口にされることがないのだ。わたしの記憶が正しければ、この名前が登場するのは、彼が生まれた北海道の生家をとらえた映像に、「永山」と書かれた表札が小さく見える瞬間だけだったと思う。

「去年の秋、四つの都市で同じ 拳銃を使った四つの殺人事件があった。今年の春、十九歳の少年が逮捕された。彼は連続 射殺魔とよばれた。」映画の冒頭と最後にあらわれるこの同じ字幕にはさまれた86分間、映画は犯人がその生涯において見たであろう風景のみをひたすら映し出してゆく。製作者たちはこれを「風景映画」と呼んでいた。富樫雅彦と高木元輝によるアルバート・アイラーふうのフリー・ジャズが流れ、忘れた頃に挿入される簡潔なナレーションが事件の経緯を簡潔に要約するばかりで、説明は一切ない。予備知識のない人が見れば、ただ無秩序に映像が並べられていっているだけとしか思えないだろう。八坂神社の境内でいきなりキャメラがズームを繰り返す場面があるのだが、そこで永山が警備員に向けて発砲したことを知らなければ、このズームはまったく無意味に思えたに違いない。

しかし、「風景映画」とはいったい何なのか。この映画の製作に関わった松田政男は次のように説明している。

下層社会に生まれ育った一人の大衆が<流浪>という存在態においてしか自らの階級形成をとげざるをえなかった時、したがって私たちが永山則夫の足跡を線でつなぐことによってもう一つの日本列島を幻視しようと試みたとき、意外というべきか、線分の両端にあるところの点として、風景と呼ぶほかはない共通の因子をも発見することとなったのである。そしてこれは、この日本列島において、首都も辺境も、中央も地方も、都市も田舎も、一連の巨大都市としての劃一化されつつある途上に出現する、語の真の意味での均一な風景であった。私たちスタッフ6人は、1969年の後半、文字通り、風景のみを撮りまくった。撮っては喋り、喋ってはラッシュを見、そして再び風景を撮った。作家と観客と批評家の回路が私たちの内部にできあがり、モーターが唸り、私たちが確かに私たちのまぼろしの日本地図をこの列島の上にあぶり出した時、映画が完成した。それは一種異様なる<風景映画>であった。(松田政男


よく指摘されることだが、この映画が撮られた数年後、国鉄が「ディスカバー・ジャパン」と銘打った国内観光の一大キャンペーンを開始し、日本の地方の風景は資本主義のシステムのなかへと回収されてしまう。この映画が撮られたのは、かろうじてその直前だった。このときすでに日本の風景は均一化・画一化され、互いに置き換え可能なものとなり始めていたのかもしれない。そしてそれは永山則夫が見ていた風景でもあった。ここに映し出される風景は、高度経済成長のなかで取り残され、見捨てられたような、わびしい風景ばかりだ。この凡庸な風景に向けて引き金を引いたのが、永山則夫の起こした事件だったといういい方もできるだろうか。もちろん、風景によって永山が犯罪者となった理由が説明できるわけではない。しかし、匿名の視線によってとらえられたこれら凡庸な風景とのせめぎ合いのなかにこそ永山則夫はいたのだという、この作品の描き方にはそれなりの説得力がある。

「凡庸な風景」といったが、40年後の今見直されたこの映画の風景は、単純に美しく、そして生々しい。ひょっとすると、それは作者たちにとっては思いもかけないことだったのかもしれない。

優れた風景写真を見ているときのように、こちらが風景を見ているのではなく、風景がこちらを見返しているような、そんな強いまなざしに貫かれた風景がここにはある。没落する地方都市の姿をとらえた奇跡の映像。「ディスカバー・ジャパン」によって、やがてそんな風景はただ見られるだけの一枚のポスターへと変えられてしまうだろう。60年代と70年代のちょうど境目という、この時代の狭間でのみ撮りえた映画かもしれない。

足立正生はすでに新作『幽閉者』を撮り終えている。機会はあったのだが、見逃してしまった。わたしにとっては、この『略称 連続射殺魔』が足立の最高傑作であり、これ以上の作品はそうは撮れないだろうと思っているのだが……。


足立正生『銀河系』★

分身をめぐるスラップスティックな作品。この時代の観念的な前衛映画の悪いところしか見えない。


木下恵介『女』★★

木下恵介にはめずらしい心理サスペンスふうドラマ。登場人物は小沢栄太郎水戸光子(なぜか『雨月物語』のコンビ)のふたりだけ。強盗をやらかして逃亡中らしい男が、強引に女を連れて逃避行する。やくざものの男を演じる小沢栄太郎がいつもながらすばらしい。本心の見えない男を前にして揺れ動く女を演じる水戸光子の、どことなくだらしない感じもいいのだが、タイトルが「女」という割りには、女の存在感はそれほど強烈に感じられない。クライマックスの温泉宿の火事のシーンはオープンセットなのだろうが、まるでドキュメンタリーのようでかなり迫力がある。実験好きの木下恵介らしい作品だ。