明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

イーリング・コメディに関する短い覚書

The summer was hot that year, and with the breaking of the warm weather came the prospect of a full-time job for Richard Grey. His friend at the BBC put him in touch with the head of films at Ealing, the place where his film career had begun, and after an interview he was told that a staff job would be his from the first week in September.

Christopher Priest The Glamour


プレステージ』でSFファン以外にも多少は知られるようになったクリストファー・プリーストの小説『魔法』の結末近くの一節である。

"Ealing" とあるのは、ロンドン西部のイーリングにある映画撮影所のことだ。もっとも、ここでふれられているイーリング・スタジオは80年代初頭のそれであり、かつて「イーリング・コメディ」と呼ばれる喜劇が数多く撮られたころの面影は、このころにはほとんど残っていなかったと思われる。

イーリング・コメディの全盛期は40年代から50年代の前半頃までであり、日本で正式公開された唯一のイーリング・コメディマダムと泥棒』(55) などは、実をいうと、イーリング・コメディが最後に残した白鳥の唄とでもいうべき作品だったのである。


60年代以降は、イーリング・スタジオは、テレビの撮影所としてかろうじて生き延びていたらしい。プリーストの小説に登場するイーリングの映画撮影所は、すでにそのような存在となっていたときのものだ。撮影所自体がなくなったわけではないが、恒常的に映画を製作し公開するシステムとしてはすでに機能していなかったのである。この小説の主人公(とはいったいだれなのかが問題なのだが、それはともかく)がイーリングの撮影所で働くのも、BBCが製作する番組のカメラマンとしてである。

ところが、2000年になって状況に変化が起きる。オーナーが変わったことにより、スタジオが一新され、映画はもちろん、音楽、ゲームなどをふくめたデジタル・コンテンツの制作拠点としての再開発がはじまったのである。もっとも、映画方面では、アニメなどが制作の中心になっているようであり、かつてのイーリング・コメディのような映画史に残るユニークな作品群がまたこのスタジオからあらわれることは、いまのところ期待できないように思える。


(引用箇所を見てもわかるように、『魔法』の原書は中学生レベルでも読めそうな平易な英語で書かれている。とはいえ「イギリス・ポスト・モダン・ノベルのひとつの頂点」ともいわれる作品だ。なめてかかると大変なことになる。幻想小説とか、ときにはSFとまでいわれる小説なのに、100ページ以上読んでもただの恋愛小説にしか見えないところが、いかにもプリーストらしい。なんの変哲もない話だなんて思っていると、途中から話が予期せぬ方向に流れてゆき、メビウスの輪のようにねじれた物語に翻弄され、結末までたどり着いてもしばらく意味がわからず、あわてて最初から読み返すハメになるので、ご注意を。なんの知識もなしに読むのがいちばんいいが、このブログの読者は小説などそんなに読まないと思うので、少しネタばらしをしてしまおう。『魔法』は、透明人間のテーマについての非常にユニークなヴァリエーションでもあるのだ。まあ、そうとも言い切れないのが、この小説のおもしろさなのだが、読まない人にはなんのことかわかるまい。)



☆ ☆ ☆


作品覚書。

アレクサンダー・マッケンドリック『マダムと泥棒』(55)
もっとも有名なイーリング・コメディ。5人のギャングが楽団員に化けて下宿を借り、現金輸送車を襲う計画を立てるが、下宿の管理人である上品な老婦人によって計画は狂わされてゆく。殺人を午後の紅茶よりもささいな出来事として描くブラックなユーモアは、イーリング・コメディの特色のひとつである。最近、ずいぶんひさしぶりに見直したのだが、不思議なことにわたしはこの作品を白黒映画として記憶していた。ついこの間見たばかりなのに、やっぱりもうモノクロのイメージしか残っていない。華やかさとはかけ離れたテクニカラーの使い方が独特だ。



アレクサンダー・マッケンドリック『白いスーツの男』(The Man in the White Suit, 51, 未)
イーリング・コメディの常連アレック・ギネスが、マッド・サイエンティストふうの人物を演じるユニークな作品。洋服工場で働く変わり者の化学者が、絶対に汚れない繊維を発明するが、スーツが汚れなければだれも新しいスーツを買わなくなり、工場の労働者も解雇されてしまうというわけで、経営者も労働者もまきこむ大混乱に。




チャールズ・クライトン『ラベンダー・ヒル・モブ』(51, 未)
しがない銀行員が盗んだ金塊をエッフェル塔のレプリカに加工してパリに運び出すが、手違いから事態は思わぬ方向に動いてゆく。パリのエッフェル塔を駆け下りる人物をとらえた縦移動が有名で、まだ見ぬそのシーンを長らく夢にまで見たぐらいだったが、DVD でようやく見ることができたその場面は思い描いていたイメージとはずいぶんちがっていた。ユニークな強奪計画と、それがしだいにほころんでいく様を描いている点で、『マダムと泥棒』に通じる。ちなみに、主演はアレック・ギネス



ロバート・ハーマー『カインド・ハート』(49, 未)
イーリング・コメディの最高傑作という呼び声も高い作品。これにもアレック・ギネスが出演している(しかも、一人八役!)。貴族の系譜から閉め出されてしまった主人公が復讐のために一族の抹殺をはかる。殺人を淡々と描くタッチは、『マダムと泥棒』というよりも、チャップリンの『殺人狂時代』を思い出させる。



ジョン・ボールティング『I'm all right Jack』(59, 未)
これもイーリング作品だと思うのだが、ちゃんと調べていない。なにをやらせてもだめだめな主人公が、とあるミサイル工場で働くことになる。主人公の引き起こす騒動をとおして、経営者側と労働組合双方の腐敗をおもしろおかしく描いた作品。これは、イギリス社会の特質といったほうがいいかもしれないが、イーリング・コメディでは、上流階級と労働者階級が対比して描かれることが多いようだ。『白いスーツの男』もそうだったが、これも工場を舞台にした作品。労働組合のリーダー役でピーター・セラーズが出演している。




<参考文献>