明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ジョン・H・オウア『眠りなき街』——都市の声、機械人形の涙


ジョン・H・オウア『眠りなき街』(City That Never Sleeps, 53)
★★½


これまでも折にふれてフィルム・ノワールの変種をいろいろ紹介してきたが、この作品もまたフィルム・ノワール史上まれに見る風変わりな作品のひとつと言ってもいいかもしれない。


* * *


黄昏時のシカゴの高層ビル街をキャメラがゆっくりとパンしながら映し出してゆく。その画面にかぶさって聞こえてくる男性の声のナレーションに驚く。「わたしは都市、アメリカの中枢であり心臓だ……」。

驚くべきことに、この映画は擬人化された都市の一人称の語りと共に始まるのである。死人や動物によるナレーションなら知っているが、都市によるナレーションというのは初めてだ。フィルム・ノワールにおいて都市が、たんなる背景としてだけではなく、時にはその主題=主体として、きわめて重要な役割を果たしてきたことは、様々に論じられてきた。ところが、この映画では、たんに比ゆとしてではなく、実際に都市が人格を与えられて声を持ってしまったのである。

短いイントロダクションを終えると、この都市の声は、物語の登場人物たちに主導権を譲り渡し、その後は聞こえなくなる。しかし実は、後でわかるのだが、この映画の仕掛けはそれだけでは終わらない。


時おりついてゆけなくなるほど複雑に入り組んだこの映画の物語を要約するのは大変だ。様々な人物が入り乱れるが、とりあえずの主人公は、ジョニー・ケリー(ギグ・ヤング)という警官である。彼は妻との結婚生活にも、日々の警察業務にも疲れ、その両方を捨てて愛人のダンサーとどこかに逃げたいと思っているが、結局、思い切って踏み出すことができないでいる。そんなとき、知り合いである悪徳検事から、都合よく利用してきた強請屋の男(ウィリアム・タルマン)が最近目障りになってきたので、捕まえて国外に連れ出してくれと依頼される。しかし、この強請屋の男は、実は検事の妻と恋仲で、逆にふたりで検事を意のままに操ろうとたくらんでいた。さらに、ケリーの弟や、ダンサーに片思いしている客引きの男などが加わり、事態は複雑に絡み合ってゆく……。

この映画には実はもう一人、ジョン巡査部長と名乗る奇妙な人物が登場する。ケリーのパートナーが病気になり、その代わりとしてこの男がケリーのパトカーに同席することになるのだが、その登場の仕方が妙なのである。ふと気がつくとそこに立っている。まるで幽霊のようだ。この男はいったい何者なのだろう。彼は何らかの形で犯罪にかかわっているのだろうか。しかし、物語が進んでも、それらしきヒントは現れないし、そもそもこの男が本当に重要な人物なのかどうかさえも判然としない。彼はただケリーのそばに付き従い、ときおり傍観者として意見を述べるだけだ。

そしてすべてが終わったとき、男はまた忽然と姿を消す。最後に、冒頭の都市の声がまた聞こえてきて映画は終わるのだが、そのとき初めて気づくのである。この声の主は、ジョンと名乗っていたあの男の声と同じであると。彼はシカゴの化身だったわけである。

なんと意表をついた設定だろうか。しかし、このトリッキーな部分を別にすれば、この映画はとてもよくできたフィルム・ノワールであると言っていい。ここに描かれるのは、日没に始まり、夜明けに終わる、たった一夜の出来事である。パトカーに乗って街を巡回するケリーと共に、観客はこの街の夜にうごめく様々な人々を目撃する。ちゃちなカード詐欺師や、赤ちゃんの出産現場、そしてもちろん殺人も……。

ノワール的な人物にも事欠かない。検事は骨の髄まで腐りきっているし、彼とつながりのある警官ケリーも、根は善良ながら決してクリーンとはいえない。悪徳検事の妻役のマリー・ウィンザーは『現金に体を張れ』のときのようなビッチを演じて、やはり悲惨な最期を迎える。だれもが深い夜のなかで自分を見失って生きているようだ。ただ一人、ナイトクラブの客引き係だけは、ケリーの愛人である踊り子にひたむきな思いを寄せているが、彼もまた、顔に金粉を塗って、ショーウィンドーで機械仕掛けの人形として生きる毎日を続けている。

その機械人形の眼から大粒の涙がこぼれ落ち、それが殺人者に拳銃の引き金を引かせるきっかけとなる場面は、あざといながらもこの映画の最良の瞬間であった。