ソン・イルゴン『マジシャンズ』★☆
全編がワンショットで撮り上げられていることで話題になった作品。『エルミタージュ幻想』ですでに試みられている技法であるが、映画を最初から最後までカットなしに撮り切るというのは、映画を撮る側だけではなく、映画を見る側の原始的欲望といってもいい。この監督は、以前、『スパイダー・フォレスト』という風変わりなミステリーを見たことがあり、そんなすごい監督でないことはわかっていたが、やはり気になったので見に行ってしまった。
暗い森のなかを女が一人歩いている。そのからだがふわりと浮き上がったかと思うと、いつの間にかキャメラがこの映画の舞台となる山荘のなかに入り込んでいるというオープニングは悪くないのだが、見ているうちに映画はどんどん緊張感を欠いてゆく。3年前に自殺した女性ギタリストの命日にバンドのメンバーがこの山中の酒場に集まり、それぞれの人物がいまだにとらわれているその過去を巡って、過去と現在がワンカットのなかで交錯しつつ映画は進んでゆくのだが、残念ながら脚本の完成度が高いとはいえず、過去のトラウマからの脱却が歌となって最後に高らかに歌われるという、ある種おなじみのクライマックスもさして盛り上がらなった。回想シーンになると照明が変わるところもいささかやり方が古めかしく思える。アンゲロプロスはそんなわかりやすい長回しは使わない。ワンカットのなかでいつの間にか時代が変わっているという密度の高い画面を、観客は一瞬も気を緩めることなく凝視していなければならないのである。それに比べると、この映画の話法はわかりやすすぎるというか、観客に親切すぎる。映画自体は《魔術師》とはほど遠いといったところか。
実は、冒頭に登場する人物はその自殺した当の女性ギタリストなのであり、彼女は亡霊としてこの映画の登場人物たちを見守ってゆくことになると同時に、回想シーンに登場して過去の自分自身を演じてもいる(これは冒頭5分でわかることなのでさしてネタバレにはならないだろう。というかすでにだいぶネタはばらしてしまった)。彼女の自殺の記憶が、バンドのほかのメンバーたちが前に踏み出すことをじゃましていることを知ってか知らずか、亡霊となった彼女は終始陽気な笑顔を浮かべて蝶のように登場人物の間を飛び回る。が、わたしには彼女が亡霊として映画の冒頭から最後まで存在しつづける意味がぴんとこなかった。いっそのこと背中に天使の羽でもつけて演じさせた方がよかったかもしれない。
映画を見ながら森の描き方がなってないなと思っていたのだが、以前にこのブログで『スパイダー・フォレスト』について書いたメモ書きを読み返してみたら、同じことが書いてあった。冒険するのもいいが、やはり基本は大事だ。
(Planet Studyo Plus One にて上映中)