大阪プラネットで上映されるダダについての記録映画の字幕をつくっていて、調べたいことがあったので、20年以上前に読んだマン・レイの自伝『セルフ・ポートレート』(リンクは新装版なので、わたしが読んだ訳とは変わっているかもしれない)をひさしぶりに本棚から引っ張り出して読んだ。
なにげにページをめくっていて、終わり近くでふと手が止まった。
「月と6ペンス」「ドリアン・グレイの肖像」「ベラミ」
という部分が私の目を引いたのだ。
いずれも有名な文学作品だが、これが三つ並べられるとある特別な意味になる。この3作はいずれもアルバート・リューインの監督作品なのだ。もしやと思って、少し先まで読み進むと、エヴァ・ガードナー主演で「さまよえるオランダ人」の伝説を映画化した作品のことが書いてある。間違いない。しかし、肝心の監督名が出てこない。少し手前のところまで戻って、やっと「アル・レーウィン」という名前を見つけた。
アルバート・リューイン=アル・レーウィンというわけか。これなら見落としても仕方がない。そもそもこの本を読んだとき、わたしはこの監督のことをまったく知らなかった。なにげに読み落としたとしても致し方なかっただろう。その頃はもちろん、いまでも、日本ではさして有名な監督とはいえないからだ。結局、しかるべきタイミングがこなければ、人はうまく出会うことができないということだ。(ちなみに、山田宏一は「ルーウィン」という表記を使っている。)
マン・レイのこの自伝を読んだたぶん数年後、わたしはフランスで、レーウィンことリューインの映画を2本見ることになる。『パンドラ』と『ドリアン・グレイの肖像』だ。この監督はすぐにわたしのお気に入りになった。そのことは何年も前にホームページでも書いたので、ここでは繰り返さない。日本に帰ってきて見たジャン・ユスターシュの『ぼくの小さな恋人たち』に『パンドラ』が引用されているのを知って感動したことだけをもう一度書いておく。
わたしにとっては重要な監督のひとりだったのだが、かれとマン・レイとのあいだに交流があったとは、今のいままで知らなかった。『パンドラ』のなかで使われるエヴァ・ガードナーの写真も、実は、マン・レイが撮ったものだったのだ。マン・レイはウォルター・アレンズバーグの家でリューインと出会ったという。アレンズバーグといえば、ニューヨークのダダイストたち、とくにマルセル・デュシャンのパトロンとして著名な人物だ。リューインはそういう場所に出入りしていたのだ。かれの映画にどこかアメリカ映画離れしたところが感じられる理由がこれでわかった気がする。こういうインターナショナルというよりは、コスモポリタンな雰囲気を知っているものだけがもっている洗練とでもいったものがかれの映画にはあるのだ。
と、後付で考えて納得した。